【季刊哲学0号】 悪循環 P. クロソウスキー ほか 著
一方に、生それ自体が生みなした永却回帰の体験を端緒とする悪循環。他方に、結晶の時をうかがう<論理>が、不当な全体を拒むための悪循環原理。クロソウスキーのニーチェとプリンキピア・マテマチカ。近世=現代の思考態勢の劈開を導く綾線。今日の問題系はライブニッツの傍にあり、普遍論争の中世を招喚する。悪循環を解いて希哲学の回廊が発つ。
【季刊哲学創刊号】 ライブニッツ 普遍記号学 下村寅太郎 ほか 著
〈情報〉という物理量が思考に深くくい入り、AIと脳とが互いに臨界を映し出そうとしている現代を、十七世紀普遍記号学が賦活し、かつスコラの普遍論争の中世を甦えらせる。時空が褶曲する。アルス・コンビナトリア、とはつまりあの天才の世紀きっての天才ライプニッツの全体系の成虫原基たる概念、をその名の冠した、新しい思惟の器官の創刊号。
【季刊哲学2号】 ドゥンス・スコトゥス 魅惑の中世 中沢新一 ほか 著
論理学固有の概念〈一義性〉を、スコトゥスが形而上学に解き放ったとき、〈存在の一義性〉の問題が露出する。創造主なる無限者と被造物たる有限者を隔てる絶対の距離は消失するか? 一方〈存在〉はスコトゥスの〈端的に単純な概念〉となり、普遍記号学への遥かな途を拓く。神学、哲学から音楽や詩まで、魅惑の中世に訊ねて、現代の問題群を照明。
【季刊哲学3号】 視線の権利 J. デリダ ほか 著
見ることの権利とは他者を発明することだ。写真が表象するものを、ではなく写真そのものの構文や連鎖を解くデリダの百頁のテクストと、言説や法の猥褻な本質に関するパフォーマンスとしてのプリサールの百頁の写真。これは百の升目、黒と白の基盤上に展開するゲームだ。バルトの『明るい部屋』にも言及してこれを越える、デリダ初の本格的写真論。
【季刊哲学4号】 AIの哲学 回路・汎智学・脳梁 堤清二 ほか 著
何ごとかを「知る」とはどういうことか。認識する、信じる、過ちを犯す、とは何か。コグニティヴサイエンスは、その三十年間の歴史を通して哲学数千年の問いを問い直す。神経回路網をモデルとするコネクショニズムに関心が集中しているAIの今日のプロブレマティクを眺め、ルルス、コメニウスらに戻ってコンピュータ科学の先端を汎智学に結ぶ。
【季刊哲学5号】 神の数学 カントールと現代の集合論 G. カントール ほか 著
集合とは、ひとつのものとして思惟されるあらゆる多である・集合論は、無限を数として形成し、計算可能にした。あるいは限定されざるもの、あるいは神、あるいは無そのもであった<無限>がここに数学化し、集合論=数学基礎論は現代数学の基点となる。中世神学における神の論理形式を訊ね、今日信仰は可能かを問い、いま、神とは何かに迫る。
【季刊哲学6号】 生け捕りキーワード 臨時増刊
神や他者や無限や存在が問われて、史上幾度目かの中世復興のうねりが、わけても論理や言語の問題群をめぐって現代の先端と結ばれる。一方でフランスに展開した様々の思考の急速な衰退、あるいは自己組織化論のより拠であった免疫のネットワーク説の死など、現に進行する<思考の糸>の大転換を証す語彙集。いま最も輝いて、来るべき思考の種子だ。
【季刊哲学7号】 アナロギアと神 トマス・アクィナス、今日の 山田晶 ほか 著
アナロギアとはトマスにあって、神と被造物との間の、比例的に同一な関係、絶対的な他性と絶対的な同一性を統合する論理であった。これに対してスコトゥスが存在の一義性を唱え、スワレスの体系化を経てこれはライプニッツ以降の西欧哲学の方向を決める。しかしトマスにあった「生まの存在」にこそ、今日の思考は向いつつある。現代のトマスを象る。
【季刊哲学8号】 可能世界 神の意志と真理 山口昌男 ほか 著
数百年の時を距てて〈中世〉が最も今日的な〈現在〉であるような現場、様相論理学・可能世界論は、そのようなトポスだ。神が別様に世界を創造したとしてなお真理であったような真理と偶然的真理とはどのように異るか。認識や知覚、因果律の分析、状況と態度や信念、本質と同一性などの問題系から認知科学まで、可能世界論がアクティベイトする。
【季刊哲学9号】 神秘主義 テクノロジーとカルト 中村元 ほか 著
観想の雲の中で神は見られる。観想に甘美がともない、そこには恍惚がある。フィロン、ディオニシオス、ベルナルドゥス、エリウゲナ、ボナヴェントゥラ、ベーメのテキストによって、ヨーロッパの思想を垂直に貫ぬく、神秘主義の水脈を辿る。そしてライプニッツの「真の神秘神学」を経てAIへ、テクノロジーと神秘主義が一瞬変換する現代を抉る。
【季刊哲学10号】 唯脳論と無脳論 ニューロ=メタ=フィジックス 大森荘蔵 ほか 著
コンピュータとして延長を続け、世界を脳化して自らに再参入する脳は、あらゆる思考にとって不可避の特異点をなす。じっさい、現るがままのものと真とは相即的であり、認識とはエンスと知性の合致のことであった。現るがままのもの、世界は、世界として知覚されて現る。一方知覚や思考や意識が脳の働きであるとしたら、世界は、脳の産物なのか?
【季刊哲学11号】 オッカム 現代を闢ける 稲垣良典 ほか 著
オッカムは「もの」と「記号」とを分離し、認識の理論は記号の論理的分析に変る。もはや、ものそれ自体、実在する事物、存在が問われることはない。もの=物理的世界と記号の体系としての精神と。近世の思惟の枠組みは三世紀前に準備されたのだ。トマス・・−スコトゥス−オッカムの過程で何が起きたか。現代の光源としての中世が、にわかに浮上する。
【季刊哲学12号】 電子聖書 荒井献 ほか 著
原=書物として『聖書』は時代の先端を成すテクノロジーとそれが可能にしたメディアによって担われてきた。最初の活字印刷本「四二行聖書」以来五世紀、書物が思考の生理を律する。そしていま「電子聖書」が創出される。テクストの新たなスペキエスの出現によって、書物の、とはつまり思考の形態転換の軌跡が鋭く折れ、文化の相転移が計測される。
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