新宿
森山大道

品切

品切重版未定

「大いなる場末」新宿を数年間にわたり撮り下ろした、
森山大道の集大成。
毎日芸術賞受賞(2003年)

  • 刊行年月: 2002.8
  • B5変型判(タテ247mm、ヨコ182mm、ツカ35mm)並製カバー装600頁(収録点数524点、オールB/W)
  • 本体価格7200円
  • ISBN:4-901477-03-X

 

夜、カメラを手に、歌舞伎町から区役所通りへ、そして大久保通りを新大久保駅へと歩いていくとき、 ぼくはときおり背すじがスッと寒くなる思いがする。とくに何が起きたというわけでもないのに、どこかでひるむ自分を感覚する。 新宿の裏町が確実に陰悪化しつつあることが肌で分かる。ネオンやイルミネーションのもとで、路地裏の暗がりのなかで、人々は影の存在となって蠢いて映る。 ぼくが手にする小さなカメラの視線に、それら影となった人々の、昆虫のように敏感な反応が電流となって伝わってくる。 緊張感でぼくの身体の細胞が少しざわつき、辺りの空気がザラリとひと荒れして知覚される。そこはかとなく暴力的なアトモスフィアに身をつつまれながら うろつき廻っていると、ひるむ気持にあらがうように、カメラマンであれば、やはり新宿を撮るほかはないとぼくは自分に言い聞かせる。 なぜならば、ここはほかならぬ新宿であり、大いなる場末なのだから。


新宿を写してきたこの二年余りの間に、ぼくはずいぶんいろんな人から、なぜ新宿なのですか? と訊かれてきた。新宿は、いまだにぼくの目に、大いなる場末、したたかな悪所として映って見えている。東京という大都市を構成する他の幾多の街が、戦後五十年余りの時間のグラデーションをすっとばして、見る見る白くサニタリーな風景となり果てているのに比して、新宿はいまだに原色の、さまざまな時間の痕跡を内包している。東京に居て、路上でカメラを持つ者にとって、これほど現代の神話に充ち充ちたパンドラの匣を見すごして、他に目を移すことなどは、とうていできない相談だ。

森山大道

紹介記事

  • 田中純氏書評(「紀伊國屋書店新宿本店じんぶんや:都市の表象文化論—-その徴候的知のために」
  • 暮沢剛巳氏書評 (「10+1」2002年9月・bookreview)
  • 本多正一氏記事(「時事通信」2002年9月配信「交錯してはんらんする都会の顔」)
  • 鳥原学氏書評(「日本フォトコンテスト」2002年10月号・Book Shelf)
  • 吉田修一氏書評(「日刊ゲンダイ」2002年9月19日・週間読書日記)
  • 無記名氏紹介(読売新聞」2002年9月8日付・読書欄)
  • 田中茂氏紹介(「文芸春秋」2002年10月号・日本の顔)
  • 無記名氏紹介(「メンズ・ノンノ」2002年10月号・今月のカルチャー)
  • 大竹昭子氏書評(『InterCommunication』第42号)
  • 飯沢耕太郎氏書評(『週刊朝日』2002年9月6日号)
  • 都築響一氏書評(「朝日新聞」2002年8月28日付・読書欄)
  • 赤坂英人氏書評(『PEN』2002年8月15日発売号)

森山大道(もりやま・だいどう)
1938年生。写真家。月曜社での近年の出版物に、『森山大道写真集成シリーズ 1-5』(2018-2021年)、『K』(2017年)、『絶対平面都市』(鈴木一誌共著、2016年)、『Osaka』(2016年)、『犬と網タイツ』(2015年)、『ニュー新宿』(2014年)、『通過者の視線』(2014年)などがある。
最新の動向、および詳細なプロフィールは、公式サイトをご参照ください。

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