「絶望を作り出しそれに強いられて逃走線を描出する、革命の不可能性を作り出しそれに強いられて革命的になる、人民の欠如を作り出しそれに強いられて来るべき人民に呼びかける」。創造的に生きるためになぜ《絶望》しなければならないのか? 《革命的になる》とは、どういうことなのか? 気鋭の論客が、ドゥルーズとゴダールを読解しながら、講演形式で問う、いまこの世界に必要なこと。
装画=中原昌也
本書より:『絶望論』というタイトルのもとで「革命的になることについて」論じる本書は、デモの無力を産出するこのデモ、おのれの無力を自ら創出するこれらの人々を眼前にして、彼らに触発されて、彼らの無力の力に強いられて、構想され執筆されたものである。本書のすべては、彼らに導かれて次のようなドゥルーズの一節を再読することから始まった。「我々にはひとつのエチカ、ひとつの信が必要なのだ。そう聞いたら愚か者たちは笑うだろう。しかし、我々に必要なのは何か別のものを信じることではなく、この世界を信じること、つまり、愚か者たちもその一部をなしているこの世界を信じることなのだ」。