叢書・エクリチュールの冒険

書物の不在 初版
モーリス・ブランショ

品切

中山元[訳]

完売 → 第二版(品切重版未定)

著者の批評の歩みはここに極まる。
生誕百周年記念出版。

  • 刊行年月: 2007.9
  • 46判上製カバー装88頁
  • 本体価格2,500円
  • 19cm
  • ISBN:978-4-901477-36-9

生誕百周年(07年9月22日)記念出版。
晩期ブランショにおける評論活動の頂点となる最重要論考を初出誌版(1969年)より初邦訳。書くこと、書物、作品、法をめぐる未聞の思考が開示される。著者最大の評論集『終わりなき対話』の末尾におかれた同論考の単行本版との異同を付す。
対話なき暴力が充満する現代に、ことばの力と可能性を鋭く問いかける新しいシリーズ、「叢書・エクリチュールの冒険」の第一回配本! 初版限定800部。

原著:Maurice Blanchot, “L’absence de livre” in L’Ephemere, no.10, 1969, Paris: Edition de la Fondation Maeght.


◎本書の装丁について:鮮やかな朱色の紙に濃い墨色で本文を刷り、肌触りがなめらかな漆黒の布クロスで製本しました。漆黒の布クロスには銀色の箔押しで原題が刻印されています。カバーには本文と同じ朱色の紙を使用し、最小限の文字情報のみのシンプルな装丁になっています。見た目の簡潔な美しさを重視しているため、オビは付しません。


◎叢書「エクリチュールの冒険」について:
「ことば」への関心を私たち現代人はもはや失ってしまったのだろうか。「ことば」は書き方や話し方における技術の問題に過ぎないのだろうか。賢さや愚かさは「ことば」の技術の問題なのだろうか。「ことば」は嘘に過ぎないのだろうか。

20世紀文化の知的位相を形成した諸潮流においてはむしろ、文学における言語実験、哲学における言語論的展開、言語への記号学的な接近、そして勇気ある証言と告発の政治が国境を越えて観察できる。「ことば」への関心に深く根ざす運動は、「ことば」を圧殺し簒奪する怪物的事件の傍らにおいてすら、実践され続けてきたのではなかったか。

〈9・11〉に象徴される、「ことば」なき暴力のヴァンダリズムに曝されつつある21世紀は、世界大戦や絶えざる内線と紛争に彩られた前世紀の延長上にある。数々の問答無用な攻撃と苦悩の沈黙は、「ことば」の信頼を常に裏切り続けてきた。対話の円卓に就いてもなお、バベルの混乱は続いたのだ。混乱期における「ことば」の可塑性と 可能性を再び問うこと、それは20世紀的人間を再審することであるとともに、21世紀のバベルを解体する試金石でもある。

モーリス・ブランショ(Maurice Blanchot)
1907年9月22日ソーヌ・エ・ ロワール県のカンに生まれ、2003年2月20日イヴリーヌ県に没す。フランスの作家、批評家。主な著書に以下のものがある。『文学空間』(粟津則雄・出口裕弘訳、現代思潮社〔現代思潮新社〕、1962年)、『最後の人/期待 忘却』(豊崎光一訳、白水社、1971年)、『来るべき書物』(粟津則雄訳、筑摩書房、1989年)、『明かしえぬ共同体』(西谷修訳、ちくま学芸文庫、1997年)、『望みのときに』(谷口博史訳、未来社、1998年)、『友愛のために』(清水徹訳、《リキエスタ》の会、2001年)、『問われる知識人』(安原伸一朗訳、月曜社、2002年)、『ブランショ政治論集』(安原伸一朗・西山雄二・郷原佳以訳、月曜社、2005年)、『私についてこなかった男』(谷口博史訳、書肆心水、2005年)、『ブランショ小説選』(菅野昭正・三輪秀彦訳、書肆心水、2005年)、『謎の男トマ(1941年初版本)』(月曜社、近刊)。

訳者 :中山元(なかやま・げん)
1949年東京生まれ。東京大学教養学部中退。哲学者・翻訳家。著書に『フーコー入門』(ちくま新書、1996年)、『思考の用語辞典』(筑摩書房、2000年。ちくま学芸文庫、2007年)、『新しい戦争? ----9.11テロ事件と思想』(冬弓舎、2001年)、『はじめて読むフーコー』(洋泉社、2004年)、『〈ぼく〉と世界をつなぐ哲学』(ちくま新書、2004年)、『高校生のための評論文キーワード100』(ちくま新書、2005年)、『思考のトポス』(新曜社、2006年)などがある。カント、フロイト、バタイユ、メルロ=ポンティ、アレント、レヴィナス、フーコー、デリダなどの訳書多数。

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