暴動の時代に生きて――山谷 ’68-’86
中山幸雄

¥3,200 (税別)

上山純二・原口剛[編]

2024年10月24日取次搬入予定

  • 刊行年月:2024年10月
  • 46判並製416頁
  • 縦188mm×横130mm×束幅25mm
  • 重量380g
  • 本体価格3,200円
  • ISBN:978-4-86503-195-9 C0010

1968年夏、暴動の嵐吹き荒れる山谷に鈴木国男、船本洲治ら四人の若者が山谷に降りたった。それは、寄せ場を牛耳る暴力手配師、悪質業者、地域ボス、マンモス交番との妥協なき闘いの烽火であった。山谷自立合同労働組合、全都統一労働組合から悪質業者追放現場闘争委員会、山谷争議団へとつらなる闘いをたどりながら、「労働者解放旅団」と称された活動家たちの軌跡。社会運動、貧困問題、〈1968〉などに関心をもつ人たちへ。現在を照らす現場からの貴重な歴史的証言!

池田浩士氏推薦「この現実を自力で変えようとする人々。多様多彩なその人々を結ぶ強靭な糸として生きた著者。消された歴史の群像が、いまこの現実に蘇生する」。

目次

これは過去の記録ではない、未来に託されたメッセージである|原口剛
前口上としては長くなりますが|中山幸雄
1 1968 書を捨て一路、山谷へ
広島大学と船本洲治との出会い
山谷へ足を踏み入れて
山谷自立合同労働組合結成、そして10・21新宿へ
都庁乱入事件と山自労からの分裂
2 1969 山自労書記局と全統労の崩壊
「サンヤ大飯店事件」顛末
全統労の崩壊と「現場闘争」の発見
竹中労との決別と裸賊たち
3 1970-71 自己批判と闘いの開始に向けて
「十月工房」の設立
山岡強一との出会い
黒川芳正と『狙撃兵』
「暴動は労働者の自己解放である」
4 1972 S闘委から現闘委の結成へ
鈴木国男の「狂気」と都市人民戦争
鈴木組闘争と『5-6月釜ヶ崎』
悪質業者追放現場闘争委員会(現闘委)の結成
現闘委第一次弾圧、釜ヶ崎との連帯
5 1973 山谷第一回越冬闘争
山谷第一回越冬闘争
山谷に関わる新左翼党派
『釜ヶ崎反入管通信』――労務者として
6 1973 新井技建闘争と現闘委関東工作隊
現闘委関東工作隊と『旅友』
現闘委関東工作隊(ババ班)と「さそり」
船本との最後の一夜、広島への帰還
【資料】未来を獲得するために――総括の一視点(案)|山岡強一/中山幸雄
7 1974 船本洲治の死
塩島組闘争、そして現闘委の分岐
三菱重工爆破の衝撃と現場の混迷
五・一九弾圧と船本洲治の焼身決起
船本洲治の「イショ」をめぐって
大阪拘置所での鈴木国男虐殺
【資料】いま抱きしめたい二人|中山幸雄
8 1979 新たな闘いの始まり
磯江洋一と「6・9闘争の会」
南民戦救援会について
9 1980-86 生きて奴らにやりかえせ
半タコ・ケタオチ飯場、山村組闘争
キャバレードミンゴ闘争から皇誠会(金町)戦へ
映画『山谷 やられたらやりかえせ』
『山谷』上映運動の頃
山岡強一虐殺
【資料】全世界を獲得するために|中山幸雄(全国日雇労働組合協議会)
語りを終えて|中山幸雄
関連年譜
編集後記にかえて|上山純二

中山幸雄(なかやま・ゆきお, 1945-)
1968年、広島大学在学時に山谷へ。闘いの前線に立ちつつ、印刷所を営む。現在は広島市で寄せ場などに関わりながら、スペース「カフェ・テアトロ アビエルト」を運営。

上山純二(かみやま・じゅんじ, 1957-)
編集者。担当書に船本洲治『新版 黙って野たれ死ぬな』(共和国、2018年)。

原口剛(はらぐち・たけし, 1976-)
神戸大学准教授。専門は都市社会地理学。著書に『叫びの都市――寄せ場、釜ケ崎、流動的下層労働者』(洛北出版、2016年)など。

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