動物や世界から切り離された人間はいかにして個としてその生を全うするか。バタイユの絵画論と文学論に共通する地平を「幼年期」への志向に見いだす、新鋭による果敢な読解。【シリーズ・古典転生、第22回配本、本巻21】
本文より:「エロティスムに捧げられた文学とイメージ(とりわけ絵画)は、ともに意識や理性のはたらきから有用性を奪う、すなわち遊戯化するものである。また、エロティスムはそれ自体「幼年期」の領域に属し、芸術や芸術家たちと至高性を分かち合う。〔…〕「幼年期」の本質は、つぎのようにまとめることができるだろう。/一、「おとな」の世界を前提とする。/一、反抗や破壊を第一義とし、それをとりわけ意識の上でおこなう。/一、マイナーな立場を固持する。/一、近現代的な至高性の場である」。
目次
序論
1 先行研究
2 本書の構成
第一章 バタイユにおける芸術の位置づけ――「アンフォルム」から「幼年期」へ
1 『ドキュマン』における「アンフォルム」
1‐1 「アカデミックな馬」
1‐2 「プリミティヴ・アート」
1‐3 「ジョアン・ミロ――最近の絵画」
2 バタイユにおける芸術の位置づけと「アンフォルム」
3 バタイユにおける「幼年期」――絵画、文学、エロティスム
第二章 絵画のインファンティア――ゴヤとマネ
1 絵画の「雄弁」と「沈黙」――近代絵画の条件(1)
2 ゴヤの「叫び声」
3 マネの「操作」
3‐1 マネの操作=遊戯――近代絵画の条件(2)
3‐2 操作=遊戯と自己意識
4 芸術家と承認
第三章 「幼年期」の芸術家と文学――ニーチェからカフカへ
1 ニーチェからカフカへ
2 コミュニスムと至高性
2‐1 ニーチェの「袋小路」
2‐2 聖なる文学の剽窃
3 作家と文学の子どもらしさと至高性
3‐1 カフカの子どもらしさ
3‐2 悲痛な生と至高な死
第四章 悲惨な生とフィクション――モロイ、浮浪者、遊ぶ者
1 モロイと文学の悲惨さ
1‐1 モロイの非従属性
1‐2 作家と「言語の自制なき流出」
2 「主人」のヴァリアントとしてのモロイ
3 悲惨さそれ自体における反抗
3‐1 「頂点」と「凋落」の等価性
3‐2 瞬間性と持続性、芸術の形式について
第五章 性愛文学と遊戯的理性――サド
1 革命的モラルとしてのサド
1‐1 「サドの使用価値」
1‐2 「サドとモラル」
2 文学としてのサド
2‐1 否定と文学
2‐2 「無感覚」における理性のはたらき
3 サドの違反と暴力の事物化
3‐1 違反と明晰な意識
3‐2 事物化された暴力
第六章 性と死のイメージ――エロス
1 エロスと涙
1‐1 「「小さな死」と最終的な死の同一性」
1‐2 「幼稚症」における笑いと涙
2 意識的な行為としてのエロティスムにおけるイメージ
3 イメージと自己意識
むすびに
あとがき
参考文献一覧
索引(人名・事項)