21800日めの新版刊行へ
1945年8月6日朝、広島市上空、快晴。午前8時15分、高度580メートルにて、B29重爆撃機エノラゲイ号から投下された原子爆弾リトルボーイが炸裂。一秒後に直径280メートルの巨大な火の玉と化した原爆は、爆風とともに4000度の熱線で地上を焦がし、半径3000メートル以内に存在するすべてのものを未曾有の炎でたちまち包んだ。放射線はあらゆるものを貫き、黒い雨が降り注ぎ続け、癒されぬ傷跡を後世に永く残した。
1960年X月X日、広島県産業奨励館(原爆ドーム)。
「雨が降り続く初夏の夕ぐれ、孤立しているような原爆ドームに私はひとりしのび込んでいた。暗く湿った地下天井の裂け目から目が離れなくなってしまった。」
写真家・川田喜久治は天井一面に渦巻く「しみ」の群れを撮った。それらは一瞬にして蒸発した人々の痕跡なのか、それとも黒い雨に苛まれた廃墟の素顔なのか。音を立てて蠢いているかのようなそれらの渦は、幾重にも連なる暗雲にも見え、拭い去ることのできない血の滴りにも見えた。
「壁に残った「しみ」は証言するものの不在の意味を克明に語るが、不在をこえた謎に写真の想像力は向かうことができるかもしれない。」
1965年8月6日、原爆投下からちょうど20年後、川田喜久治第一写真集『地図』が美術出版社より出版される。限定800部。
「神風特別攻撃隊員の親に送った遺書や肖像、廃墟願望のオブジェと化した要塞、天皇から下賜された勲章を胸に人生を終えようとしている元将校、幾たびも手術をし、ケロイド化した女性の腕、ドーム内に残された内外観光客の記念の落書き、経済成長を謳歌した町工場の鉄屑、飲み捨てられたコカ・コーラの瓶、あるいは占領軍の持ち込んだラッキー・ストライク、チュウイング・ガム、誘拐凶悪犯の手配写真、激しく踏みにじられた国旗など。これらのイメージと「しみ」の咄嗟の邂逅と照応が『地図-The Map』の核となっていった。」
190ページのすべてが観音開きという特異な写真集。黒々としたイメージの群れによって、時間の堆積が暗黒に封じ込められたかのように見える。作家の大江健三郎はこの写真集に一文を寄せたが、そのなかには次のような言葉がある。
「地図はつねに静かな秩序にみちている。しかしこの暴力的な世界を、真にさし示す地図はそのようなものではなく、僕が子供の夏、汚れた地面に見た地図だし、MAPの写真家が執拗に写しつづける黒暗暗たる地図である。」
品切絶版となってから久しく、今や伝説と化した写真集『地図』。終戦後60周年、原爆投下から21800日めの2005年3月20日、あらたな造本とあらたなメッセージを添えて、『地図』が新生する。
- A5変型判上製函入、190頁総観音開き、本体価格12,000円
- ISBN:4-901477-16-1、初版1000部
- 写真家本人によるテキスト「「しみ」のイリュージョン」を掲載したリーフレット付
- 装丁=川畑直道