1941~1944年、ナチス占領下のフランスに国防軍将校として配属されていた20世紀ドイツを代表する作家ユンガーが、パリの作家・芸術家たちとの交流、祖国の破滅的な運命に対する省察、ヒトラー暗殺計画グループへの関与など、自らの思索と行動を冷徹につづった日記文学の白眉。
原書: “Das erste Pariser Tagebuch” and “Das zweite Pariser Tagebuch” in “Strahlungen” , 1979(1949), Klett-Cotta.
品切
山本尤[訳]
品切
ナチ占領下のパリにおける日記。将校作家の行動と内面が明らかに。
1941~1944年、ナチス占領下のフランスに国防軍将校として配属されていた20世紀ドイツを代表する作家ユンガーが、パリの作家・芸術家たちとの交流、祖国の破滅的な運命に対する省察、ヒトラー暗殺計画グループへの関与など、自らの思索と行動を冷徹につづった日記文学の白眉。
原書: “Das erste Pariser Tagebuch” and “Das zweite Pariser Tagebuch” in “Strahlungen” , 1979(1949), Klett-Cotta.
第一部 一九四一年二月十八日~一九四四年二月十八日
第二部 一九四四年二月二十九日~一九四四年八月十三日
訳者あとがき
索引
エルンスト・ユンガー(Ernst Jünger)
ドイツの作家。1895年ハイデルベルクに生まれ、1998年リートリンゲンに没す。第一次大戦に少尉として従軍、七度負傷するも生還し受勲。戦後その経験をもとにした作品群を発表し、英雄的リアリズムの旗手と見なされた。その後、民族革命運動に参画、『戦争と戦士』(1930)や『労働者』(1932)などの著書で「第三帝国の案内人」とも言われ、ナチスの主導するアカデミーへ招聘されながらもこれを断る。ナチスとは距離をとり続けたものの、ゲシュタポの家宅捜査を受けたことなどが契機となり、1939年に国防軍へ復帰。1941年2月にパリへの転属を命じられる。参謀本部の幕僚長の後盾により、占領下のパリの参謀本部つきとなる。軍部と党の確執の詳細を記録し、その関係資料を収集する任務を与えられた。『パリ日記』はその当時に執筆されたものである。日本語訳の著書に以下がある。『鋼鉄のあらし』(先進社、1930年)、『東西文明の対決』(筑摩書房、1954年)、『大理石の断崖の上で』(岩波書店、1955年)、『文明について』(新潮社、1955年)、『言葉の秘密』(法政大学出版局、1968年)、『砂時計の書』(人文書院、1978年;講談社学術文庫、1990年)、『小さな狩』(人文書院、1982年)、『ヘリオーポリス』(全二巻、国書刊行会、1985-1986年)、『時代の壁ぎわ』(人文書院、1986年)、『追悼の政治----忘れえぬ人々/総動員/平和』(月曜社、2005年)、『ユンガー=シュミット往復書簡1930-1983』(法政大学出版局、2005年)。
訳者:
山本尤(やまもと・ゆう)
1930年生まれ。専攻:ドイツ現代文学、思想史。京都府立医科大学名誉教授。著書に、『ナチズムと大学----国家権力と学問の自由』(中公新書、1985年)、『近代とドイツ精神』(未知谷、2000年)など。訳書に、『ゴットフリート・ベン著作集 第1巻 文明論・社会批評・自伝』(社会思想社、1972年)、エルンスト・ユンガー『小さな狩----ある昆虫記』(人文書院、1982年)、ヴィクトル・ファリアス『ハイデガーとナチズム』(名古屋大学出版会、1990年)、『ベンヤミン-ショーレム往復書簡1933-1940』(法政大学出版局、1990年)、 ノルベルト・ボルツ『仮象小史----古代からコンピューター時代まで』(法政大学出版局、1999年)、 ノルベルト・ボルツ『カオスとシミュレーション』(法政大学出版局、2000年)、ラファエル・グロス『カール・シュミットとユダヤ人----あるドイツ法学』(法政大学出版局、2002年)、『ユンガー=シュミット往復書簡1930-1983』(法政大学出版局、2005年)ほか。