ルソー『化学教程』翻訳プロジェクト

月曜社ウェブサイトにて連載中の「ルソー『化学教程』翻訳プロジェクト」の第13回となる、第一部第一篇第四章「自然の多様な混合物と構成物について」は、第一部第一篇「物体の諸要素とそれらの構成について」の完結編であり、月曜社より今年2月に創刊された思想誌『多様体』第1号に特別掲載された(381〜389頁)。このたびの連載第14回からは、第二編第二章を訳出していく。ここからは「自然的な器具」としての火の本性とその機能が問題となる重要な箇所である。なお、第二編第一章「自然の仕掛けについて」は、連載第三回および第四回に掲載されているので参照のこと。

第十五回

『化学教程』

第一部
第二編 自然的な器具instrumentについて(続き)

13 〔A:56, F:70, C:108〕ブールハーフェ氏は、火のこの活動は融解状態の物体を〔さらに〕その要素的部分にまで分解すると考える。というのも、火による分解は極限まで微細なものであるからだ。〔だがブールハーフェの〕この見解は支持しにくいように思われる。というのも、同じことが〔融解状態の物体以外の〕他の流体にも言えなければならないはずであり、そうなると流体の原質の間には結合というものがまったくないということになってしまうからである。すると、〔ブールハーフェの流体に関する見解では〕これらの原質は、構成物でありうるどころか混合物ですらなくなってしまうだろう(1)。しかしながら、これとは反対のことが〔物体中の〕エンの飽和状態のうちに明らかに見出されるのである。その物体に特有の性質は、それらの物体をその要素の本性と同様に、こういった要素が結合されるその仕方にも由来するのである。それゆえに、このような〔物体に〕特有な性質の大部分は、当の物体が溶解してしまうと無くなってしまうということになる。そして〔ブールハーフェ氏によれば〕このようなことは経験に反することである。最後に、発酵はこの〔ブールハーフェ氏の〕学説に対する完全な反証である。というのも、常に均等に分割された同一の原質が、一体いかにして当初のものとはあまりにもかけ離れた新しい物質を、この同じ流体において作り出すことができるのであろうか。

(1)「構成物les composé」と「混合物 les mixtes」の違いについては、『化学教程』第五回連載の第7段落および訳文末の表を参照せよ(https://getsuyosha.jp/2012/12/10/rousseau05/)。ルソーは、ヨアヒム・ベッヒャーに従い、物質を三つの次元に分けている。すなわち、「単純な原質」(水、土あるいはガラス化土)、「一次混合物」(金、銀、酸性のエンなど)、「二次混合物」(ブランデー、アンチモンという合金、スイギン)である。「一次混合物」に相当するのが、本第13段落の「混合物」であり、「構成物」を形成する基本的な単位である。

14 もし火が物体を膨張させるのであれば、冷le froid(1)がそれらをふたたび収縮させる。熱chaleurによって希薄化したあらゆる物質を冷にさらしたままにしてみよう。しばらくしてその物質は、〔C:109, A:57〕その当初の体積を取り戻すであろう。そしてもしその物質を最大の冷にさらすならば、その物質〔の体積〕はさらに減少し続けるだろう。凍るくらいの水の中に温度計を入れてみよう。するとまずは〔温度計内の〕液体が昇ってゆくのが見られるであろう。なぜならば同じ〔収縮の〕効果がこの液体へと行き渡る前に、冷によって〔温度計の〕ガラスが収縮するからである。〔F:71〕しかししばらくすると今度は液体それ自体にふたたび冷が働いてrafraîchir、〔液体の体積が減少して〕前よりも低位に下がってゆく。これが冷の効果である。私たちは火の極限の力violenceがどれほどの度合いにまで達するのかを知らない。そのため、私たちは物体がどれくらいまで希薄化しうるのかを知らない。同じように、私たちは、最大の冷が〔物体の〕体積をどれほどまで減少させうるのかをまったく知らない。それは、私たちは、絶対的な冷を生み出す能力、言い換えるならば、ある物体が内包しうるすべての火をこの物体から完全に取り除く能力を持たないためであり、また、流れる水あるいは凍った水の冷たさfroideurがどれほどの度合いであれ、その水に様々なエンが入ると、この冷たさ〔の度合い〕が飛躍的に高まるからでもある。

(1)名詞「冷le froid」は、物体を収縮させる動因の名称として使われている。「冷」は、物体を構成している要素同士の結びつきを緊密にする。この点で「冷」は「火」の対をなす動因であると言える。ところで、「冷たさ」や「冷却」ではなく「冷」と訳した理由は、ルソーがle froidという語を性質や方法ではなく、物体を収縮させる動因そのものを指すためにこの語を使用しているからである。この第14段落では、さらにある物体から「火」が取り除かれるという状況に関しても「冷」という語が使われている。すなわち、「火」を取り除く動因が「冷」であると考えられている。そして、「冷」が物体に生み出す状態が「冷たさfroideur」である。動因である「冷」の大きさに応じて「冷たさ」の「度合い」に高低が生じる。

15 確かなことは、この〔冷の〕法則もまたこれとは逆の先の〔火の〕法則と同様に一般的なものである、ということだ。つまり重さを失うことなく、冷によって収縮する物体などないのである。それはあらゆる物体の中でもっとも固いとされるダイヤモンドの場合も同様である。このことからいくつか指摘できることがある。第一に、どのような物質であれ、それに固有の重力を厳密に規定することは不可能であるということ(1)。というのも、重力はつねに重さと体積の組み合わせに比例しており、そして体積はそれ自体では規定しえないので、その結果として〔ある物質に〕固有の重力もまた同様に規定しえないということになる。第二に、同一の物体は、寒い地域よりも、赤道下でより大きくなり、またより広い体積を占めるはずである。というのも、赤道下では、その物体はより大きな度合いの熱を被るからであり、地球それ自体もまた、赤道下ではより希薄化するはずだからである。〔A:58〕〔地球それ自体が希薄化するという〕このことだけで、地球が楕円形をしているということ、またその結果として異なる気候の影響で重力の作用が〔地球に対して〕不均等に作用するということを説明するのに(2)充分だろう。第三に、以上の原因〔に関する説明〕を援用するならば、振り子〔の運動〕が赤道の下では遅くなり、両極圏の下では速まるというその不規則性を実によく説明することができる。〔C:110; F:72〕というのもたとえ重力がそこ〔すなわち赤道下および両極圏〕で均等であるとしても、振り子〔全体〕が気候の熱によって膨張し、それゆえにこの〔前より長くなった〕振り子の振動は、寒さによって運動〔の振幅〕が狭まる北方の国々よりも、灼熱の地域では必然的に遅くなるはずだからである(3)。ところで、物体の膨張はその物体の部分が周囲へと離れてゆくこと以外の何ものでもなく、また物体の収縮もまた、この部分が中心へと収束してゆくこと以外の何ものでもない。〔膨張と収縮の〕この正反対の性質から、第四に、次のことが帰結する。すなわち、火は、各物体のあらゆる部分に中心から周辺へと向かう運動および傾向性を与え、〔逆に〕冷は、それが単なる火の除去であれ、あるいはそれ自体が作用因であれ、〔火とは〕まったく逆の周囲から中心へと向かう運動と傾向性とを物体の部分に与える、と帰結される。

(1)ルソーの説明によれば、体積の変化に応じて物体の重さも変化する。つまり物体固有の重さというものはこの考えの枠内では成立しない。
(2)ルソー余白書き込み:「〔地球が楕円形であることと地球に重力が不均等に作用するという二点を〕可能にするにはこれだけで〔充分だろう〕」
(3)ルソーの説明によれば、気候の寒暖によって振り子全体が膨張ないし収縮し、このような振り子の大きさの違いによって振幅の速度が変わる。

16 以上の実験すべてから次のように結論づけよう。熱さと冷たさが物体の希薄さと密度の濃さの原理である。このことはベッヒャーの学説とはまさに正反対のものである。というのも、ベッヒャーは希薄さというものあるいは密度の濃さというものを〔たがいに独立したものとして〕抽象し、両者こそが、冷たさと熱さの原理であると主張していたからである。〔ベッヒャーによれば、〕自然の創造者は、この摩訶不思議な固有性を使うことで、〔この世界の〕あらゆる部分が不断に運動し続けるよう維持するのである。〔具体的には〕太陽の運行、その光線の方向、太陽が立ち昇らせる雲、太陽が引き起こす風、その他無数の特殊個別的な原因(1)が、世界中のあらゆる気候にある空気の温度を、瞬間ごとに変えている。同じ場所において、ある瞬間が次の瞬間へと移る間であったとしても、熱の度合いが同一であることは決してない。そして〔熱の度合いの〕この不断の移り変わりによってこそ、生命と運動が〔A:59〕万物の中に維持される。もし火が、物体を絶え間なく希薄した状態のままに維持し、あるいは〔反対に〕これらの物体が冷によって常に収縮し続けるならば、循環も生成ももはやありえない。そして宇宙全体はほどなくして消滅するであろう。熱と冷が入れ代わり立ち代わることによってこそ、物体は分解し、気化し、凝縮し、そして再結合する。それは日ごとに消滅する存在を新しい存在に入れ換えるためである。

(1)「原因causes」は挿入された単語である。ルソーは欄外に「原因」という単語を書き、挿入記号「/」を使って挿入している。

17 〔F:73〕温度計の発明は、今しがた示した考えに負っている。周知のとおり、温度計は、空気〔の状態〕を左右する熱さと冷たさの度合い、つまり度合いの変化と相違をある程度の精確さで計測するための道具である。〔C:111〕〔ちなみに〕空気温度計はドレベル(1)によって発明された。首の長く非常に細いメスフラスコの〔口の部分である〕端を水の中に入れた上で、このメスフラスコを温めることによってフラスコ内に閉じ込められた空気をさらに希薄化させてみよう。すると〔希薄化して膨張した〕空気の一部は〔フラスコの口の端が浸かっている〕水を通って逃げてゆく。〔フラスコ内に〕残った空気は冷めてゆき、そして以前より少ない体積に凝縮するだろう。そして水を通って逃げていった空気の分量に応じて〔メスフラスコの〕管をとおって水が上ってゆくのが確認されるだろう。熱と冷の度合いに応じてこの水がほとんど絶え間なく上下するのは、メスフラスコ内の空気が各瞬間にどれくらい多くあるいは少なく希薄化するかによる。

(1)コルネリウス・ドレベル(Cornelius Drebbelius / Cornelis Jacobszoon Drebbel, 1572-1633)。オランダ人物理学者、発明家。

18 小振りで使い易く、より正確な計測ができる温度計を作るには、酒精が役立つ。というのも、非常に純度の高いアルコールは熱によって実によく膨張し、また冷によっても同じようによく収縮するからである。その結果として、凍結にはじまり健康な人の体温の水準に至るまで、酒精の体積の違いの幅〔すなわち膨張率〕は、20倍にもなる。そしてついでに言うならば、〔この膨張率の高さ、〕これこそが蒸留酒で満たされた瓶に夏の熱によってひびが入ることの原因なのである。〔A:60〕というのも、膨張しようとする蒸留酒が〔瓶内部の〕すべての部分に行き渡って行き場を失うと、この障壁を押しのけようとしてしばしば瓶を割ってしまうからである。

19 さて言うべきことが残っているとすれば、その作られ方natureからしてこの〔温度計という〕器具が持ちえない精確さを決して期待してはいけないということである。というのも、どのような種類のものであろうと、熱は〔温度計を構成している〕空気、液体そして両者が入っている容器を同時に膨張させるからである。その結果として、三者一つひとつに対する効果を考慮し、〔F:73〕三者によって成り立つ比例関係を考慮しておかないと、各物質が膨張ないし収縮した体積の量を精確に確認することはできないであろう。

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