ルソー『化学教程』翻訳プロジェクト

第十二回

『化学教程』

第一部
第一編 物体の諸要素とそれらの構成について

第三章 物体の凝着原理と物体の透明原理について

1 〔A:33, F:43, C:86〕自然のあらゆる現象を説明するために実に多くの努力をなしてきた哲学者たちは、万物にもっとも普遍的に備わっているもの、かつまずもって説明すべきであろうものについて理に適った仕方で語ることなどかつてなかった。私が言っているのは、各物体の諸部分の凝着cohésionである。例えば、それは一定量の金化粒子corpuscules aurifiques(1)から一つの金の塊を作るような働き〔操作opération〕のことである。ある物体の諸部分が絶対的静止repos absolu(2)の状態にあるとき、〔C:37〕これらの部分が凝着することはありえないという説に基づいて、凝着原理は運動であるとライプニッツは主張した。この静止や運動という言葉でライプニッツはいったい何を言わんとしていたのだろうか。ペリパトス派の形相、デカルトの微細な物質matière subtile、ニュートンの引力ですら、凝着原理の説明としては不十分な仮説のように私には思われる。物質が持つこの〔普遍的な〕特性について無意味な断定を企てる前に、原質の粒子corpuscules Principesの形象とあらゆる性質をよく知っておかなければならないし、その粒子の表面同士が接触する場合どのような種類の接触がありうるのか、また粒子同士の関係や差異が何であるかをよく知っておかなければならない。〔A:34〕動植物といった有機体に関して言えば、有機体の部分的構造、すなわち繊維や脈管のお陰で、〔凝着原理という〕難問にぶつからずに済むとも言える。脈管や繊維はひとつの組織によって支配されており、この組織はそれらからまとまりcohérenceを形成するのである。しかし、〔F:44〕〔有機体のまとまりを持ちつつ〕最も硬いものでもある採掘物〔化石〕corps fossilesや、接着appositionによってしかその部分が結合しない石や金属に対しては、〔動植物のと〕同じような説明はまったく通用しない。他方で、水やその他の液体はその部分同士がまったく無媒介に結合しており、このことは液体の透明さtransparenceが示している。こういった水やその他の液体が流動的であるということは、両者の部分の結合が組織に由来するものではないということを明示している。

(1)物質は粒子から成るという粒子論の議論をルソーは引き合いに出している。ゆえに、金化粒子は金の微小物質というよりは凝着により物質としての金に成る粒子のことを意味する。
(2)「自然的には実体は活動なしにはあり得ず、運動していない物体さえも決してありはしない、と私は主張するのである。経験も既に私に味方しているし、このことを納得するには、絶対的静止に反対して書かれたボイル氏の著作を参照しさえすれば事足りる。けれども、〔絶対的静止に反対する〕理由はまだ他にもあると私は思うし、〔その理由は〕私が原子論を破るために用いる証明の一つなのである」(ライプニッツ『人間知性新論』米山優訳、みすず書房、1987年、9頁)。

2 だが、かりに〔物体の〕部分間の完全な接着が物体のまとまりや安定性を生み出すと仮定してみよう。〔例えば〕二つの大理石の塊が、研磨され完璧に平らになった表面同士でくっつけられると、両者はひとつの大理石となり、まさにひと塊の大理石を形づくることになるだろう。大理石の表面のすべての部分一つひとつが接し合うのに必要な十分に研磨された平面を大理石に与えることができた場合、その結果として大理石がひとつにまとまるということが成立するのである。これは何人かの哲学者が大胆にも主張したことでもある。しかしながら、これこそ「経験に仇なすchicaner contre l’expérience」と言うべきものではないだろうか。今度は、どれだけ各々の部分が隣接しているかに比例して大理石の一体性が増してゆくと仮定してみよう。〔この場合〕たとえ〔隣接する〕研磨面が不十分であるとしても、つねに相当数の接点を二つの大理石が持つことで、分割に対するかなりの抵抗力をこの大理石は持ったと見なすべきであろうか。〔C:88〕しかし、経験によれば、この〔隣接数に由来する〕抵抗力は二つの大理石それぞれが持つ固有の重さから生じる抵抗力〔引力〕を超えることはない。

3 もし、私が一個の銀塊をとって、その銀塊をヤスリで粉にするとしよう。先ほどの哲学者たちの原理に従えば、この銀粉をくっつける、あるいは同じことだが、一箇所に集めたならば、この粉末はおのずから元の銀塊に戻るだろう。というのも、〔A:35〕空気圧にせよ粒子の持つ引力にせよ、銀粉の一つひとつの粒は単に接触し合うことによって、かつて銀塊の中に生じていた力と同じ力でもって再び結合しあい、一体化することになるであろうから。しかし〔実際のところ〕、融合fusion以外の方法でこの銀を塊に戻すことは不可能である。なぜならば、この銀粉を坩堝に入れ、充分な火力でその坩堝を熱し、〔溶解した銀粉を〕鋳型の中に流し込めば、〔F:45〕前と同じような一つの銀塊が得られるからである。また別の方法でもいくつもの金属粒子を再結合することができる。硝酸液eau forteの中に銀粉を入れると、その粉は硝酸液に溶けてしまうだろう。その後、〔この溶液を〕蒸発させることによって、銀の水eau d’argentと硝酸から構成された月のエンsels de luneないし月の結晶cristaux de luneが得られるだろう(1)。火加減や溶解液の種類に応じて、変ルベキトコロヲ変エレバmutatis mutandis、同種の実験をあらゆる金属に対して行うことができる。一般に、粉末状の物体の諸部分を結合する方法として融合または溶解dissolution以外の方法は知られていない。石灰質の土がもしかしたら例外であるかもしれない。この土に関してはいずれ語ることになるだろう(2)。以上のことから、流動性は物体の安定性の原理le principe de la soliditéであると私は結論づける。動植物に関してこのことは明白である。というのも、動植物の物質substanceはすべて違った仕方で組み合わされた〔複数の〕体液だけで形成されているからだ。鉱物界に関しても、私が説明したばかりのこの実験を参照すれば、そのことは明白である。〔第一章において〕私たちは土という名のもとで三つの物質原質(3)について論じたわけだが、土というこの概念が潜在的な流動性や現実的な流動性と両立するということを認めるには、実験について今しがた私が語ったことで充分である(4)

(1)月の結晶とは、硝酸に銀を溶解させて得られる細かい結晶状の白銀色物資を指す名称である。現代で言うところの硝酸銀のことだろう。
(2)ルソー余白書込:例外はひとつもない。例えば、レンガはガラス化作用vitrificationによってのみ硬化する。このガラス化作用はそれに固有のある状況下で起こる真の融合である。
(3)第一章において論じられたガラス化土、燃素土、スイギン土のことを指す。
(4)ルソー余白書込:言うべきことはたくさんある。〔余白書込に関する訳注:本文では「私が語ったことで充分である」とルソーは書いているが、この箇所を後で読み返したとき、彼は充分ではないと考えたようで、それゆえ「言うべきことはたくさんある」と余白にメモを書いたと考えられる。本訳では、参照している三種類の校訂本にしたがって、この余白書込を本文の「充分である」という表現に掛けた。文脈上、校訂本の選択は妥当であると考えられる。手稿を見る限り、ペン、インクの色、字体は本文のそれと変わらない。ルソーは、本文本第3章を書き終えて間もなくこの余白書込を書いたと推測できる。「言うべきこと」としてルソーが何を考えていたのかは、彼の文章からは読み取ることはできない。〕

4 残るは流動性の原因が何であるかを正確に知ることだろう。すなわち、流動性〔それ自体〕の真の原質〔原理〕は何か、流動性がどのようにして〔結果的に〕硬質で安定した物質を形成すべく物体の諸部分を配置するのか。こういった問題は私の主題ではない。というのも、〔A:36, C:89〕何らかの仮説を持ち出すことでしかそのような問題は解決できないからである。そして、私はここでお伽話を書くつもりはないが次の点だけは指摘しておきたい。〔F:46〕流動性(1)とは透明性の原理でもあるということ。そして、もし物体を構成する部分すべてが等しく融合にせよ溶解にせよ流動性というものの影響下にあるならば、どのような物体も透明であろうということ。ただし、鉱物と有機体はその限りではない。というのも、一方で鉱物の不透明性はスイギン土(2)ないしフロギストンによるものであり、他方で有機体の不透明性はその部分が織りなす多様な組織によるものであるから。確かに流体の粒子の結合は互いに簡単に解消されてしまうが、それでもこの結合は完全なものなのである(3)。そして流体の完全性ゆえに、光線が液体を通り抜ける場合、光線が変化することはほとんどないのである。とはいえ、光線が貫通できる表面はそうたくさんはないのであり、そのような表面であったとしても、光線はこの表面によって屈折し、あらゆる方向に曲がってしまうのだが。反対に水晶や擦りガラスは〔光線が通ると〕不透明になる。なぜならば、光線は様々な大きさと多様な形の粒子すべての表面上で右に左に無限に屈折し、その途中で光線は消失してしまうからだ。実験は上に述べた〔フロギストンないしスイギン土および流動性に関する〕ことを示してくれる。すなわち物質は溶解液とあまりにもよく結合するので、その物質は溶解液とともに完全に透き通るような、つまり透明な一つの全体を成立させるということである。〔この状態は〕新しい物質が溶解液とこれによって分解された物質とを分離するまで変わることはない。〔この分離の際〕その新しい物質は一瞬その溶液を動揺させ不透明にするのである。また同様に、石、砂、そして金属ですら、それらを〔燃焼させて〕石灰化するとき、それらからフロギストンが取り除かれ、ガラス化作用によって以前のような不透明な状態から透明になるようにその部分が配置せられるのである。

(1)ルソー余白書込:物体の安定性soliditéと透明性の原因としての流動性という考え方は、さらに展開することができる。このことは幾何学的に検討されるべきである。
(2)ルソー余白書込:馬鹿げた説。
(3)ルソー余白書込:いかにして流体の諸部分は形づくられêtre figurées、動かされることになるのか?

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