ルソー『化学教程』翻訳プロジェクト

第七回

『化学教程』前回までの概要

『化学教程』は、ルソーの学問形成期に書かれた書物である。『学問芸術論』『人間不平等起源論』以前にルソーが何を考えていたのかをこの書物から私たちは知ることができる。もちろん、『化学教程』はルソー独自の化学理論が展開された書物と見なすことは難しい。しかし、ルソーが独学で化学を学び、最先端の化学理論を吸収したことで、彼の頭のなかにあった様々な思考の断片は〈化学反応〉を起こしたのである。
 今までに公開した『化学教程』の内容をここで一度振り返ろう。まず、第1部第1編では、物質を構成しているとされる「原質principe」が問題となる。この原質なるものは、自然学physiqueと呼ばれる学問分野の研究対象となっており、その自然学は原質の形状や運動の仕方などを解明することに専心していた。他方でルソーは当時まだ学問的意義の定まっていなかった化学の有用性に注目した。彼は従来の自然学がもつ虚構的ですらある抽象性を退け、原質の性質を化学的知識に基づく実験によって一歩ずつ手探りで探求しようとした(連載第2回:第1章第1段落~第6段落)。
 では、化学において何が問題となるのか? それは、物質の分析analyseに関する方法論である。化学的分析とは火などを用いて物質を分解する操作一般を意味するが、この操作がどのようなものであるかについての理解をめぐって異なる意見があった。すなわち、化学的分析は原質を変質させるのか、それとも原質の構成を変化させるだけなのかという問題である。この問いに対し、ルソーは後者の立場に立ちつつ、物質を構成する原質を不変のものと考える。よってルソーによれば、原理的には分解された物質は元の物質に再構成できるのである。だが、実際にこの再構成は困難である(木炭から生木を再構成することが不可能なように)。ルソーはこの不可能性を火による化学的分析が物質の結合を断ち切ってしまったことに由来するものと考え、火それ自体は物質を何ら変化させてはいないと言う。  したがって、ルソーは化学的分析を、物質を本質的に変質させる操作ではなく、物質の単純な分解とみなすのである。ゆえに、物質を構成する最小単位としての「原質」の存在をルソーは認める立場に立つ(第5回、第6回:第2章第1段落~第9段落、同第1章第7段落~第9段落)。
 第1部第2編では化学の有用性が論じられる。そこでは同時にルソーの哲学的世界論もまた展開されている。ルソーは世界を演劇舞台として表象する。広義の自然学の目的はこの舞台を成り立たせている一つひとつの装置ないし道具が何であるかを説明することにある。ここでルソーが問題とするのは説明の方法である。彼は二つの立場を批判検討しつつみずからのとるべき道を模索する。批判の対象となるのは、第一に自然に関する理論を打ち立てることから出発する体系中心主義、第二に事実の観察と記述に固執する観察中心主義である。これに対してルソーは「中庸の道」を模索する。すなわち舞台としての自然を構成する部分が何であるかを道具という観点から説明する道具主義とでも呼びうる立場である(第3回、第4回:第1章第1段落~第10段落)。


『化学教程』

第一部
第一編 物体の諸要素とそれらの構成について

第一章 物質の原質について(続き)

10 それゆえ、物体のこの諸原質や要素の観念についての人々の意見はだいたい一致している。しかし、どのような原質ないし要素があるのか、またそれらは何種類あるのか? この問いこそが、数世紀以来、自然学者と化学者たちを悩ませてきた大問題の核をなしてきたのである。[C:65]タレスは一つの原質しか認めなかった。それは水である。デモクリトスもまた一つの原質しか認めなかった。それは土ないしアトムである。アリストテレスは四つの原質を思いついた。それは土と火という乾いたもの二種、そして水と空気という湿ったもの二種の四つである。アナクサゴラスは、例えば金の原質が金の性質を持つ小さな粒子であると主張することによって、ありうる限りの様々な物体が存在すると主張した。デカルトは大きさと形象〔形態〕によって区別される三つの原質があると認めた(1)。さて今度は化学者たちの番である。パラケルススも〔デカルトと〕同様に三つの原質、すなわちエン、油、そしてスイギンないし揮発性物質を挙げた。ウィリス(2)はそれでは十分ではないと考え、そこにもう二つの原質を加えた。すなわち水と土である。両者を彼は受動原質と呼び、先の三つの原質には、能動原質という名前を与えた。〔この区分の仕方は〕あたかもすべての物質それ自体が受動的であるのではなく、物質は〔外部から〕運動を受け取らずして〔それ自体で〕運動を伝えることができるということを示しているかのようである(3)。これらの原質の存在をファン・ヘルモント(4)はまったく是としなかった。ヘルモントはそれらの原質を、いわく言い難いアルケーなるもので置き換えた。それはまったく合理的なものではなく、より曖昧なものでさえあり、ベッヒャーが言ったように、「狂気ヲ変エタトイウヨリハ狂気ノ元ヲ変エテシマッタ[新たな狂人が新たな狂気の概念を生み出した]non tam insaniam quam insaniae genus mutavit」のであった(5)。[C:66]タケニウス(6)は原質として酸とアルカリしか認めなかった。結局のところ、皆が皆のやり方で原質を創りだし、その原質からともかくも自然を形成してみせたのであった。

(1)デカルトの三原質とは、火と水と土である。デカルト『世界論』第5章を参照(Descartes, Le Monde, ch. V, Œuvres de Descartes, t. XI, publiées par Charles Adam et Paul Tannery, Paris, J. Vrin, 1986, pp. 23-25. 『宇宙論』野沢協・中野重伸訳、『増補版 デカルト著作集』第4巻所収、白水社、2001年、147-149頁)。
(2)トマス・ウィリス(Thomas Willis, 1621-1625)。イギリスの医者。解剖学者として多くの業績を残した。彼の最初の著作『発酵についてDe fermontationes』(1659年)は彼が当時の化学に関する最先端の知識を持っていたことを示している。詳細は次の文献を参照。A・ディーバス『近代錬金術の歴史』川崎勝・大谷卓史訳、平凡社、1999年、470-476頁。
(3)ルソーは、物質それ自体に運動の原因があることを認めない立場に立っていた。この点に関しては、『化学教程』第1部第2編第1章「自然の仕掛けmécanismeについて」第6段落(連載第4回)を参照。
(4)ヤン・バプティスタ・ファン・ヘルモント(Jan Baptista Van Helmont, 1579-1644)。フランドルの化学者、生理学者。主著は『医学の曙Ortus medicinæ』(1648年)。詳細はA・ディーバス、前掲書、第5章(272-350頁)参照。
(5)Johann Joachim Becher , Physica Subterranea, Lipsiæ, Joh. Ludov. Gleditschium, 1703, lib. I, sect. III, cap. 4, p. 109.
(6)オットー・タケニウス(Otto Tachenius, 1610-1680)。ドイツの医者、化学者。タケニウスに関するまとまった記述としては次の著作がある。Allen G. Debus, “Otto Tachenius (FL. 1644-1699) and Hippocratic Chemistry”, “Acid and Alkali: the Internal Reaction” in Chemistry and Medical Debate: Van Helmont to Boerhaave, Canton, Science History Publications, 2001, pp. 114-126.

11 まずはじめに、哲学者たちや彼らの華麗な仮説にご退席願うことから始めなければならない。人が自然を理解するのは自分の書斎の中で体系を構築することによってではない。[A:10]モナド、基礎原型の本質essences hylarchiques(1)、角のない立方体cubes écornés(2)、微細な物質matière subtile(3)、鉤状の原子atomes crochus(4)、これらはきっとたいそうご立派な発明品なのだろう。[C:18]しかしわたしはその発明の創作者たちに、いかにしてこういったものを発見したのかと問いたい。私としては、光の球形粒子〔が存在すること〕を確認しさえすれば、ただちにデカルトの体系を正しいと認めるのだが。暇人の役に立たない思弁的な仕事とは、事物はいかにして生成しえたのだろうかと空想することである。対して、真の自然学者たちは事物が実際どのように成り立っているのかを探求するのである。

(1)「基礎原型の本質essences hylarchiques」とはケンブリッジ・プラトン学派の哲学者ヘンリー・モア(Henry More, 1614-1687)が事物一般の生成を説明する際に用いた概念「基礎原型の原理principium hylarchicum」を指す。この語形からも分かる通り形容詞hylarchicumはギリシア語の「質料hylê」と「原理archê」の合成語である。しかしモアの中期著作であるAn Antidote against Atheism第2版(1655)補遺を参照するならば、archê(あるいはラテン語化された表記ではArcheus)は「形相forma」と置換可能な語として用いられていることが分かる(最も分かりやすい例としては375頁を参照)。同補遺においてはいわゆる「形相授受」問題の文脈の中でArcheusないし複数形Archeiの語が使われている。例えば、人間が人間としての「形相」ないし「実体Substantum」を持つのは果たして胎児の段階においてかそれとも他の段階においてかというような文脈で同表現は使われている。特定の生物の「形相」をなすという意味を持たせてarchêを「原型」と訳した。hylêの部分は「形相」の対概念としての「質料」の意味は持たず、むしろ「原型」の〈根本〉としての性格を強める機能を持つ語と判断し「基礎」で訳した(なおモアはMatterの語を「質料」の意味で用いる)。モアの理論において「基礎原型の原理」は個々の事物の構成要素である「質料」に一定の「形」と「生」(すなわち「自発的運動」)とを与える「自然の精神Spirit of Nature」と考えられている。つまりこの「原理」は世界を構成するあらゆる事物が普遍的に持つ「魂」として説明されている。この普遍性を説明するとき、モアはアリストテレスが『霊魂論』第2巻第2章で展開する三種類の魂に関する説(三区分説)およびこの説を継承する思想史的伝統を前提としている。三種類の魂とは植物的なもの(=栄養摂取能力を原理とする)、動物的なもの(=感覚を原理とする)、そして人間的なもの(=思考能力を原理とする)の三つである。この最後の種類は人間のみに固有のものであるが、これと同時に人間は他の二つの種類も持つ。それに対して植物は第一の種類のみを持つに過ぎないとされる。このような魂の三区分説は、新プラトン主義の思潮に受け継がれ、さらにはマルシリオ・フィチーノ(1433-1499)などのルネサンスの宇宙論にまで継承される。このような思想的潮流を背景とするモアの「基礎原型の原理」は魂の三区分のうち植物的種類に相当し、したがって人間を含むあらゆる生物が持つ基本の魂である(ちなみにモアは魂を四種類に分けており、人間的種類のさらに上に「天使の魂」を位置づける)。なお本翻訳で用いたAn Antidoteは次のものである。An Antidote against Atheism (2nd ed.), London, J. Flecher, 1655. また「自然の精神」の歴史および「基礎原型の原理」の詳細については次の研究を参照。Jasper Reid, The Metaphysics of Henry More, International Archives of the History of Ideas 207, New York, Springer, 2012 .「自然の精神」一般については第9章The Spirit of Natureを、また特にモアの「基礎原型の原理」については同章第3節The Spirit of Nature and Particular Spirits(pp. 329-337)を参照。
(2)おそらく、この言葉はデカルトの『哲学原理』第3部第48章の世界形成論を読んだルソーによる皮肉的な造語であろう。該当箇所にて、デカルトは宇宙を満たす角を持つ物質が運動によって、互いに衝突することで、次第に角が削れ球形になると述べていた。Descartes, Principes de la philosophie, Troisième partie, 48, Œuvres de Descartes, t. IX-2, publiées par Charles Adam et Paul Tannery, Paris, J. Vrin, 1989, pp. 126-7. デカルト『哲学の原理』小林道夫ほか訳、「科学の名著」第II期第7巻所収、朝日出版社、1988年、122頁。
(3)「まずはじめに私は仮定する。水、土、空気その他われわれをとり囲むすべての同様な物体は、さまざまな形と大きさをもった多くの微小部分からなっており、これらの微小部分はけっして十分うまく配列され、十分きちんと結合させられていず、そのまわりに多くの隙間を残す。そしてこれらの隙聞は空虚ではなくて、きわめて微細な物質に満たされている。さきに光の働きがその仲介によって伝達されると述べたあの微細な物質である」(Descartes, Les météores, discours premier, Œuvres de Descartes, t. VI, publiées par Charles Adam et Paul Tannery, Paris, J. Vrin, 1982, p. 233. 『気象学』第1講、赤木昭三訳、『増補版 デカルト著作集』第1巻所収、白水社、2001年、225頁)。
(4)「レウキッポスとデモクリトスは、宇宙世界の周囲を、鉤状のアトムが結びつき合ってできた『キトーン』(肌着)あるいは『ヒュメーン』(被膜)が、おおっているものとしている」(アエティオス『学説誌』II 7,2〔「レウキッポス(A23)」内田勝利訳〕、『ソクラテス以前哲学者断片集』第IV分冊、岩波書店、1998年、17頁)。

12 哲学者たちは何かをあみ出すことはするが、〔物事を〕観察する労を引き受けなかった。化学者たちは〔哲学者たちとは〕正反対の欠点を持っている。彼らは観察することで満足し、〔観察されたものの〕向こう側に何があるのかについては気を遣うことはしない。ちなみに化学者たちは物体の構成部分を物体の真の要素と考えたわけだが、 この構成部分を観たことによって化学者は物体を分解する方法を見出したのである。[C:67]何らかの物質の分析によって彼らは揮発性物質、油、エン、土、水を得た。そして水、土、エン、油、揮発性物質が物質の原質である、と彼らは結論づけた。つまり化学者たちは目しか持たず、哲学者たちは精神しか持たなかったのだ。そして彼ら全員が誤謬に陥ったのである。

13 酸とアルカリに関する学説に対し私はしつこく反駁しようとは思わない。というのも、〔第一に〕これらの学説はころころと変わるものであるから。〔第二に〕以前は酸とアルカリがその中にはまったく存在していなかったような物質でもって、人は酸とアルカリを作り出したからである。それゆえ酸とアルカリは原質ではない。このことに反駁の余地はない。

【続く】

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