森山大道のOn the Road
何かへの旅 (4)
大竹昭子
73年には「地上」が連載される。タイトルは、名声を得たあげくに精神を病んで夭折した、島田清次郎の一斉を風靡した小説の題名からとった。
1月号 大阪・名古屋の地下街
2月号 伊那谷
3月号 東京、大阪、京都
4月号 国道13号線、45号線
5月号 サーカス
6月号 北海道
7月号 高山
8月号 北海道のある町
9月号 京都祇園祭
10月号 長良川、焼津、犬山、熱海、富士
11月号 秋田
12月号 白骨温泉
サーカスは紙芝居とともに前から撮ってみたい対象だったし、高山は有名だけど一度も行ったことがないので行ってみようかとなり、白骨温泉は中里介山の『大菩薩峠』のイメージが頭の片隅にあったという具合に、前回と同様に行き先に計画性はなかった。
「でもこのときは連載がつらかったな。毎回手を変え、品を変えしてね。「何かへの旅」の連載のときに多木浩二さんに「森山は情動している」と言われて痛いなあと思ってたし、中平にもセンチメンタルだと言われたし、撮っている自分としてはやや後ろめたさがあったから、見せ方について考えすぎてしまったんですね。まわりからマンネリだと言われて視覚的なインパクトに走ってしまった。若いころにデザイナーをしていたこともあるし、カメラ雑誌ではあまりそういうことがなされてないので、やってみたいという気持ちもあったんだけど、ワンパターンになって七転八倒したね」
たしかにこの連載は前年の「何かへの旅」とはずいぶんと印象がちがう。
3月の「東京→大阪→京都」では撮影したコマから無作為抽出したものをアルバム写真のようにたくさん並べ、5月の「サーカス」では団員の顔写真を丸い枠にいれてレイアウトしている。6月の「北海道紀」ではイメージ性の強い写真の上にDPE 屋で作ったような白枠付きのプリントを載せ、8月の「市街地図」では北海道のある街で撮った写真をページの上にばらまくようにアレンジした。写真を多く載せてポップにレイアウトにすることで、「作品っぽさ」を薄め、かつ情緒性を切断しようとしているのがわかる。
写真は扱い方によって印象が変るものだし、担う意味も転じる。だが、それによって写真と自分の関係までもが変るわけではない。撮る行為は、外部世界とどう関わるかといった、見た目の印象とは別次元の要素によって動機づけられるのだ。
「撮りに行ってもなんにもおもしろくない町というのがあるんですよ。ぼくの場合、すかすかの場所をすかすかでした、というふうには持っていけないタイプだから、どうにも手も足も出ない、これじゃ7ページはできない、となる。そこで居直ってゲームをするわけです。ベタをずっと見ていって暗室ででっちあげるわけ。出来ると内心に微妙なうれしさというのがあるんですよ。捏造の喜びというのがね。それをたまたま人がおもしろいと言ってくれたりすると、うれしいんです、ゲーム完了というね。
でもそのうちにゲームじゃなくなって本気になっていって、作らずにおくものかとなっていく、外界のリアリティーではなくて、自意識との葛藤のなかにあるリアリティーを作るようになる。こういうとき自分の性格がわかりますね、こんな性格をしているのかと。ある時期なんて「オレはどこでも撮れる」「どんなにつまらない場所でもオレは大丈夫だ」なんて過信というか、盲信したこともあります。だんだんとこの町はこうしてやるぞなんて企んできて、そうなると自分で自分のパターンを探すようになってきて、そうすると見る人にもわかるんです」
アレ、ブレ、覆い焼き、焼き出しなどのテクニックを駆使して黒の濃淡を変化させ、凡庸な風景をインパクトのあるものに作り替えたのだ。イメージする力は優れていたし、焼きの技術も卓越していたから、むずかしいことではなかった。
だが、思うものができてもすぐに虚無感が襲ってくる。そこには心をときめかせてくれるものが何も見いだせなかった。自分流にアレンジした「絵」のようなものに等しく、作品としての完成度は高くても、明日も撮ろうという意欲は少しも与えてはくれないのだった。
テーマを設定しないというのは、理念によって自分を駆り立てることをしないということである。撮れた写真がもたらす次なる予感だけが撮りつづけていく動機となる。言い替えるならば、未知への期待を自分に抱かせられるかどうかが問われるのであり、作品作りを目的とした写真とはちがう、生命活動そのものに重なってくるような写真との関係を突きつめることである。
どこかに行って何かを見ることの意味についても自問を繰り返している。高山に行く。たしかに目に映るものはあるし、それを撮ることも出来る。だが写真で高山を伝えたいわけではないし、そもそも数日滞在するだけの旅人にわかることなどわずかしかない。それなら、こうしてやってきて写真を撮ることにどんな意味があるのか。つきつめて言えば、自分がその場所を訪ねたという記念写真でしかないのではないか。
こうした問いが生まれたとき、物書きならばそれをそのまま言葉で記せばよく、また他者の文章などを引用して理念的なフレームワークを付けることもできる。だが、写真には存在理由があやふやなイメージがあるのみなのだ。もどかしさや心もとなさが最初から組み込まれてしまっているメディアであり、それを意識しずぎると写真家の存在理由すらもあやうくなってくる。
それに加えて、理念を介在させずに感覚だけを活性化させてスナップするというのは、気持ちのうえで「永遠の初心者」「永遠の子ども」でいつづけることと同様である。絵画や舞踊のように身体的な訓練を必要とする表現ならば、意のままならぬことも多く「初心者」でいることもさほどむずかしくないかもしれない。だが写真は自分と外界とのあいだにカメラという機械が挟まっていて、シャッターを押せば手で描くよりずっと簡単に思うものが捕獲できてしまうのである。この「意に沿いやすさ」こそが写真の陥穽であり、それに森山は自意識を刺激され、苦しめられたとも言えるのである。
大竹昭子(おおたけ・あきこ)
ノンフィクション、エッセイ、小説、写真評論など、ジャンルを横断して執筆。トークと朗読の会<カタリココ>を各地で開催している。 著書に『この写真がすごい2008』(朝日出版社、2008)、『きみのいる生活』(文藝春秋、2006)、『眼の狩人』(ちくま文庫、2004)、短編集『随時見学可』(みすず書房、2009)、『あの画家に会う 個人美術館』(新潮社とんぼの本, 2009)、長編小説『ソキョートーキョー』(ポプラ社、2010)など他多数。
web: 紀伊國屋書店「書評空間」の同人。草森紳一記念館「白玉楼中の人」で「目玉の人」を不定期連載。