森山大道のOn the Road
何かへの旅 (2)
大竹昭子
「かねてからぼくは、無限の時間と空間をつねに自分とクロスさせながら、思わぬ発見と新しい認識の旅に出たいと願いつづけてきた。繁雑な都会での毎日、ある日ふと落ちこんだエアポケットのなかで、ぼくのうちに強くイメージされてくるひとコマは、見も知らぬ国道ぞいのさまざまなディテールなのである。そうしていま、ぼくはその路上にほんのワンステップを踏みこんできたのだ。たとえ延々とつづくアスファルトの道と、ひとならびの町並みしかなかったとしても、そこに人間がいるかぎり、ハンドルのかわりにカメラを持ってぼくは走りつづけようとおもう。」(『カメラ毎日』1968年8月号「北陸街道」撮影後記)
『カメラ毎日』誌上で追いつづけてきた芸人シリーズが写真集にまとまるめどがついたこのころ、森山のなかに旅への憧憬が頭をもたげはじめた。愛憎半ばする芸能の世界を脱して旅に出たいと思うのは、まだ30歳にもなってない若者の心情としてはよく理解できる。それまでは撮影で旅することはあっても目的地の決まった旅だったが、いま心のうちにわき起こっているのは、予定を立てずにさまよっていく、移動の行為そのものが目的であるような旅の仕方だった。 そんな折りに、「これ、おまえに合うぞ」と中平卓馬からジャック・ケルアックの『路上(オン・ザ・ロード)』をすすめられた。二人の若者が何かに駆り立てられたように北米大陸を東から西、またその反対に、感情のおもむくままに車を飛ばしていくケルアックの実体験をもとに書かれたこの小説に、森山の心はたちまちとらえられる。自分も日本の国道を駆け巡ろうと決意し、『カメラ毎日』の山岸に話しをすると企画はすんなりと通った。
初回は逗子の知りあいに車を運転してもらい、新潟市内を起点に富山、石川、福井、滋賀の4県を抜けて京都市内にいたる580キロあまりを走った。前掲の文章はそのときの撮影後記だが、フロント窓越しにシャッターを切るという、これまでとはちがう撮影方法にのめり込んでいるさまが伺える。
つぎの旅は4ヶ月後で国道1号線を大阪にむかった。乗用車ではスケール感に乏しいとわかり、このときは長距離トラックをとめてヒッチハイクした。車高が高くなって視界が広がり、快感はより大きくなった。
「ワイドレンズだとショット感がないので、105ミリとか200ミリとかを持っていくんです。するとピントは合わないけど、ショット感はあるわけ。馬で走りながら狙うようなものだから、外れることが多いけど、結構おもしろかったです。車の走行するリズムと自分の気持ちのリズムが、ショットする感覚とピタッとあっているあいだはね」
何かを狙い捕らえる興奮は、動物なら必ずもっている捕食の本能に根ざしたものだろう。カメラが大きく、望遠レンズのなかった時代は、写真とショット感が結びつくことはなかったが、持ち運び可能な小型カメラと付属レンズが開発されると、「狙い撃つ」ことは写真の属性のひとつとなった。
森山はこの感覚に惹かれて写真の道に入り、いまもスナップショットにこだわって撮りつづけているが、国道シリーズを撮ったこのころはとりわけ、車の走行感とショット感がひとつになる快感を求めていた。大衆芸能の泥臭さをみそぎするには、それくらいの強烈さが必要だったのである。
だが狙撃の興奮は長くはつづかなかった。東北を目指して国道4号線とその支線の45号線を走った旅、横浜を起点に国道16号線を走破して同じ場所にもどった環状の旅、とつづけるうちに最後のほうで飽きがきた。同一イメージの反復に退屈したのだったが、同じ風景や人物を繰り返し撮っても飽きないことはいくらでもあるから、理由はそれだけではなかったのかもしれない。写真を見返したときに襲ってくる感覚が、撮っているときに予測されてしまい、その感情の反復に耐え切れなくなったのではないだろうか。
走りながら撮っていると「何かがざるのようにこぼれていく感覚」が脳裏をよぎった。もう車を降りて撮るべきだと悟り、国道シリーズは4回で終わりにした。実際にその旅が実現して歩いて撮るようになったのは『アサヒカメラ』の連載で全国を巡るようになってからである。
大竹昭子(おおたけ・あきこ)
ノンフィクション、エッセイ、小説、写真評論など、ジャンルを横断して執筆。トークと朗読の会<カタリココ>を各地で開催している。 著書に『この写真がすごい2008』(朝日出版社、2008)、『きみのいる生活』(文藝春秋、2006)、『眼の狩人』(ちくま文庫、2004)、短編集『随時見学可』(みすず書房、2009)、『あの画家に会う 個人美術館』(新潮社とんぼの本, 2009)、長編小説『ソキョートーキョー』(ポプラ社、2010)など他多数。
web: 紀伊國屋書店「書評空間」の同人。草森紳一記念館「白玉楼中の人」で「目玉の人」を不定期連載。