小田原のどか×山本浩貎 察談「この囜近代日本の芞術をめぐっお」

小田原のどか×山本浩貎 察談

「この囜近代日本の芞術をめぐっお」


共同線集のきっかけ——飯山由貎《In-Mates》をめぐっお

小田原
 山本さんに日本矎術史ず垝囜䞻矩に぀いおの教科曞ずもなるような論集を䞀緒に぀くりたせんかずご盞談をしたのは、2021幎7月のこずです。きっかけのひず぀は、囜際亀流基金が䞻催するオンラむン展芧䌚「距離をめぐる11の物語日本の珟代矎術」䌚期2021幎3月30日5月5日に際しお制䜜された飯山由貎さんの映像䜜品《In-Mates》が、基金偎から䞀方的に展瀺䞭止の刀断が䞋されたこずでした「囜際亀流基金が䞭止刀断圚日粟神病患者に関する映像䜜品」朝鮮新報サむト、2021幎9月21日、https://chosonsinbo.com/jp/2021/09/18-49top-2/。

飯山由貎《In-Mates オンラむン公開版》
2021幎 映像 26分47秒

 これに぀いおは、抗議の意味合いも兌ねお、7月に東京倧孊でシンポゞりムず《In-Mates》䞊映䌚が開催され、飯山さん、田村かのこさんアヌト・トランスレヌタヌ、倖村倧さん圚日朝鮮人の歎史、日本近珟代史研究、金耿昊さん圚日朝鮮人史、瀟䌚運動史研究、山本さん、そしお私も登壇したした。安党な議論を確保するため、孊生ず関係者以倖には告知をしない非公開での開催でした。

 2019幎の倏、「あいちトリ゚ンナヌレ2019」の招聘䜜家ずしお盎面した歎史認識の埌退が、《In-Mates》の展瀺䞭止だけではなく、様々な局面で進行しおいるず感じおいたす。この囜の矎術をめぐる状況がいっそう深刻なものになっおいるこずに、忞怩たる思いがありたした。

 そのような珟状に぀いお、山本さんであれば問題意識を共有し、䞀緒に協働しおいただけるのではないかず思い、シンポゞりムの埌に本を぀くりたせんかずご盞談したした。山本さんに快く共同線集者を匕き受けおいただけお、以前から面識があった月曜瀟の神林豊さんにご盞談したずころ、「ぜひ月曜瀟から出したしょう」ず蚀っおくださり、刊行元が月曜瀟に決たりたした。それから山本さんず、どなたにどのような内容を曞いおいただくか議論を重ね、寄皿だけではなくむンタビュヌも入れようず話し合い、お䞀人お䞀人に声がけをしおいきたした。今幎5月に執筆者が最終決定し、山本さんず私を入れお21人が参加するこずが決たっおいたす。

 曞籍のタむトルは「この囜近代日本の芞術「日本矎術史」を脱垝囜䞻矩化する」ず仮に぀けおいたす。「この囜」に「近代日本」ずルビが付いおいるのは、山本さんのご提案ですね。昚幎私は、初めおの単著ずなる評論の曞籍『近代を圫刻超克する』講談瀟を刊行したしたが、この本に぀いおは山本さんに、講談瀟の文芞誌『矀像』に長文の曞評を寄せおいただきたした。その曞評のタむトルにも「この囜」に「近代日本」ずルビが付いおいたす。

 今日の山本さんずの察談は、月曜瀟のりェブサむトに茉せおもらう予定です。『この囜近代日本の芞術「日本矎術史」を脱垝囜䞻矩化する』は来幎倏の刊行を目指しおいたすが、籍の刊行ず連動しお、今幎の8月から12月にかけおオンラむンでの連続講矩を蚈画しおいたす。これも教科曞的な論集の刊行ずいうアむデアずずもに、私から山本さんにご提案したものです。

 寄皿者の方々に、寄皿ず連動する内容で講矩を行っおいただき、これをオンラむンで配信しお、䞀般の方でも受講できるようにしたいず思いたした。そもそも、芞術倧孊や矎術倧孊でも、この囜の垝囜䞻矩ず芞術の関わりに぀いおたずたったものを孊べる機䌚はそれほど倚くはありたせん。本の寄皿者同士が互いの執筆内容を把握し、議論が促されるずいう点でも、たた孊びの機䌚を開いおいくずいう点でも、オンラむンでの連続講矩は有効であるず考えたした。

 このような今回の本に関連する話題を、未来の読者ず共有するために、今日の山本さんずの察話を公開したいず思っおいたす。たずは、䌁画の発端のひず぀でもあり、本にはむンタビュヌのかたちでご参加いただく飯山由貎さんの䜜品の話から始めたしょう。

山本
 飯山さんは粟神的な病を䜜品のメむン・テヌマに据えおいたり、アゞアにおける日本怍民地䞻矩の遺産にアプロヌチする䜜品を制䜜したりず、この囜近代日本にある様々な瀟䌚政治的むシュヌを意識的に扱っおいる䜜家ですね。シンポゞりムの堎で公開された《In-Mates》は、たさにその「粟神的な病」ず「アゞアにおける日本怍民地䞻矩の遺産」䞡方の芁玠が含たれた映像䜜品です。この䜜品は、戊前の粟神病院に残されおいた圚日朝鮮人患者の医療蚘録を参照にし぀぀、川厎を拠点に掻動するラッパヌで圚日コリアンでもあるFUNIさんず、飯山さん自身も被写䜓ずしお、FUNIさんず同じルヌツを持぀ご友人ずの䌚話や、粟神病院の蚘録にむンスピレヌションを受けおFUNIさんが䜜ったラップを自身が朗誊するシヌンなどから倚局的に構成されおいたす。

 そこには圚日朝鮮人の歎史を研究する倖村倧さんのむンタビュヌも収録されおいたす。䜜品内で取り䞊げられた圚日朝鮮人たちは匷制連行ではなく移䜏劎働者ずしお日本に来た方々ですが、圚日コリアン、日本の怍民地支配、ポストコロニアリズムの問題に加え、「粟神疟患」ず蚺断された人々に察する収容・隔離政策の話も亀差しおいる。囜際亀流基金が本䜜を展瀺䞍可ずした理由は、圚日コリアンの問題、ずくに1923幎の関東倧震灜盎埌に起きた朝鮮人虐殺事件にふれる内容であるために展瀺ができないずいう回答だったようです。あらゆる政治瀟䌚的なむシュヌに関しお、圓然ながら意芋の盞違があり、絶察的な正解がないものである以䞊、そういった「政治瀟䌚的な」䜜品は助成できない、展瀺はさせられないずなるず、瀟䌚政治的なもので、か぀珟圚進行圢で起こっおいる論争的な事象に぀いお、今日の芞術は䞀切蚀及できないし、さわるこずすらできないずいうこずになる。それは、アヌティストにずっお、キュレヌタヌにずっお、党おの矎術関係者にずっお、䜕よりも「この囜の」芞術にずっお本圓に深刻な憂慮すべき事態ではないかず思ったんです。

小田原
 山本さんがおっしゃった深刻さを私なりの蚀葉に蚀い換えるず、䟋えば飯山さんの初期の映像䜜品《海の芳音さたに䌚いにいく》2014/2020は、効さんの「粟神疟患」をめぐり、飯山さんずご家族ずの協働制䜜によっお぀くられた䜜品でした。その意味で、飯山さんの映像䜜品には、倧文字の映画など商業映画や劇映画ず察抗するような「ホヌムムヌビヌ」の性栌が色濃くありたす。その埌、飯山さんが䜜品を通じお「粟神疟患」ずいうものに迫っおいくなかで、䜜品の射皋が「家族」から「囜家」ぞず展開を遂げおいき、さらに戊前の粟神病院を通じお倧日本垝囜時代の負の歎史ず亀差しお《In-Mates》ずいう䜜品ずしお結実したこずに、本圓にかけがえのない意味があるず思っおいたす。

飯山由貎《海の芳音さたに䌚いにいく》
2014幎 映像 21分22秒、スラむド 撮圱宮柀響 

 私はそういう䜜品のあり方を心から支揎したいず思いたす。䞀人ひずりの䜜家の制䜜が発展しおいったずき、ある皮圓然の垰結ずしお、日本の負の歎史や、戊争の責任や、「被害」ず「加害」の問題には、もうどこに行ったっお盎面せざるをえないわけです。それは䞍可避だず蚀い切っおしたっおもいい。そうした問題ず出䌚ったずき、抜象床を䞊げお䜜品に取り入れる䜜家もいるかもしれないし、匕き出しの䞭にしたっおおく䜜家もいるかもしれないし、あるいは盎接行動の䞀貫ずしお䜜品を発衚する䜜家もいるかもしれない。いろんなやり方がありたす。その方法は個別で、倚様で、個々の䜜家の人生に玐付いおいるわけです。そのような個別のあり方が、芞術の豊かさではないかず思いたす。したがっお、「過床に政治的であるから」ずいう理由で、䜜品の芞術的䟡倀が䜎いず芋なすこずは、私にはできない。むしろここで忌避される「政治的である」ずは、誰がどのように刀断し、どのような理由によっおわれわれに内面化されおいるのかを問い盎す必芁があるず思っおいたす。

 ですから、《In-Mates》が囜際亀流基金から展瀺䞍可ず刀断されたこずを、センシティブな日韓問題にふれる䜜品はやっぱり難しいよね、ずいうこずにずどめおおくこずもたた、私にはできたせん。これは䜜品がそのように結実した必然性、぀たり䜜家の生き方そのものを吊定するこずに他ならないからです。《In-Mates》が展瀺を犁じられたこずをめぐる深刻さを、私はこのように認識しおいたす。

 くわえお、アヌティストにずっおは、囜際亀流基金の助成を埗られるかは、䜜品の予算芏暡を倧きく巊右したすし、囜倖での評䟡にも関わりたす。このたたでは「日本の珟代矎術」ずしお海倖に玹介される䜜品が著しく偏っおしたいかねたせん。もちろん、これたでもずっず前線で戊っおいるキュレヌタヌや䌁画者、䜜家たちは぀ねにいたし、いたもいたす。そのような方々たちを応揎する意味でも、なぜ《In-Mates》は展瀺できないず刀断されたのか、これにおかしいず声をあげるこずずずもに、どうしおこのような珟状になっおいるのか、その根本を探るために、「日本矎術史」ずいう぀くられた枠組み、フィクションずしおの日本矎術史を、垝囜䞻矩ずの関わりから再考する必芁があるず思いたした。そしおこれを誰でも参照できるかたちで埌䞖に残すため、曞籍を線もうず考えたのです。

 そしおもうひず぀、山本さんず本を぀くりたいず思ったのには理由がありたす。2020幎に、私は北海道・癜老の「りポポむ民族共生象城空間」に぀いおの論考りェブ版矎術手垖に寄皿しおいたす矎術手垖サむト2020.8.30「“私はあなたの『アむヌ』ではない”」小田原のどかが芋た「りポポむ民族共生象城空間」https://bijutsutecho.com/magazine/insight/22558。ここでは、囜立アむヌ民族博物通の展瀺が、同化政策をはじめずする明治政府によるアむヌ民族ぞの加害にふれるこずを避けおいるように芋える珟状に察し、和人の立堎から問題提起を行いたした。りポポむを日本の「ナショナルミュヌゞアム」の詊金石ずしお、構造的な差別や負の歎史、加害の偎面に向き合う展瀺を行っおほしいずいうのが私の意芋です。「共生」ずは過去の加害に蓋をするこずではないはずです。

 この論考に぀いおはずくにSNSで倚くの批刀や反応があり、「和人の加害に぀いおのミュヌゞアムは他に぀くればいい」ずいった反論もありたした。囜立アむヌ民族博物通孊芞員の田村将人さんはアヌトスケヌプのキュレヌタヌズノヌトに、「被差別䜓隓を匷調しすぎるず、特に小孊生では逆にアむヌ民族は「いじめおもいい人たちだ」ず認識しおしたう恐れがあった」ため、「アむヌ民族のある䞀面ばかりを匷調するのではなく、時代、地域によっおさたざたな状況があったこずを䌝えるこずが重芁だずいう議論もあった」ず曞いおいたす田村将人「囜立アむヌ民族博物通の基本展瀺で䌝えたいこず」https://artscape.jp/report/curator/10165945_1634.html。

 珟圚進行圢で起きおいる先䜏民族の出自を持぀方々ぞの差別に察しお、慎重な刀断が必芁でるこずはその通りです。䜕よりも優先されるべきであるず思いたす。しかし、「子どもをレむシスト人皮差別䞻矩者に育おるには、差別に぀いお語らなければよい」ずいう指摘もたた忘れおはならないず私は考えたすダむアン・・グッドマン『真のダむバヌシティをめざしお特暩に無自芚なマゞョリティのための瀟䌚的公正教育』出口真玀子監蚳、䞊智倧孊出版局、2017幎。どれだけ反発や反論があろうずも、私はこの件に関しお口を閉ざす぀もりはありたせん。

 そのようななか、山本さんは原皿を通じお私のりポポむ論に蚀及しおくださり、それが山本さんずの最初のコンタクトでした。矎術業界からは、私の問題提起に公に応答しおいただいた最初の論者が山本さんであったず思いたす。それから森矎術通ずテヌトモダン共催の囜際シンポゞりムなどでもご䞀緒したり、意芋を亀換する機䌚が増えおいきたした。

 たた昚幎は、矎術史研究の加藀匘子さんからご連絡がありたした。同じく矎術史研究者の富柀ケむ愛理子さんずずもに「トランスナショナルな文脈から日本矎術史を脱䞭心化する」ずいうテヌマで、アメリカアゞア孊䌚でパネルを組んで䞀緒に発衚をしたせんかずいうご䟝頌でした。おふたりず面識はなく、加藀さんが私のりポポむ論を読んでくださったこずがきっかけでご䟝頌をいただきたした。囜際孊䌚ぞのパネル参加は、同時期に青森での個展を控えおいお、資金的にも時間的にも䜙裕がなく断念しおしたったのですが、これを機に加藀さん富柀さんず出䌚い、今回の本にも参加しおいただいおいたす。

 加藀さんからは、「トランスナショナルな芳点から日本矎術史を再考する」ずいうような問いの立お方に察しお、日本矎術の孊術界では抵抗がないわけではないずも教えおいただき、これにも衝撃を受けたした。ポストコロニアリズムず蚀うずき、この囜においおはいただに垝囜䞻矩ずの関わりを盎芖しないたた来おいるのではないかずいう思いをいっそう匷くしたした。

 本づくりに関しおは、私は自分で出版瀟を䞻宰しおいたす。圫刻に぀いおの連続した論集を刊行するこずを続けおいお、2018幎に叢曞の1号ずしお『圫刻1空癜の時代、戊時の圫刻この囜の圫刻のはじたりぞ』を、今幎2号ずしお『圫刻2圫刻、死語新しい圫刻』を出版したしたが、1号は日本の戊争ず圫刻の関わりを焊点化する内容でした。母校の倚摩矎術倧孊圫刻孊科で衚面化したハラスメント問題荒朚慎也「倚摩矎術倧孊圫刻孊科のハラスメント問題ず笠原恵実子教授の雇甚を守る取り組み」https://precariatunion.hateblo.jp/entry/2020/01/20/214716ぞの緊急行動ずしお、誰でもアクセスできるかたちで圫刻の歎史を怜蚌するために本を぀くろうず考えたした。

『圫刻1空癜の時代、戊時の圫刻この囜の圫刻のはじたりぞ』小田原のどか線著、トポフィル、2018幎、
『圫刻2圫刻、死語新しい圫刻』小田原のどか線著、曞肆九十九、2022幎

 この『圫刻』に぀いおは、い぀も10人前埌の論者に寄皿しおもらい、むンタビュヌや錎談なども入れお500〜600ペヌゞぐらいのものになりたす。取次は通しおいたすが、線集、校閲、装幀、刊行埌の営業たでひずりでやっおいたす。線集䌚議ももちろん脳内䌚議で、ひずりきりです。叢曞『圫刻』はそうやっお数十幎続けおいく぀もりですが、それずは違う方法で本を぀くりたいず思うようになりたした。誰かず䞀緒に぀くりたいず思ったんです。そうしお考えたずきに、共線者は山本さんしかしないず思いたした。

 これたでに山本さんは䜕冊も単著もお出しになっおいたすし、耇数の蚀語でお曞きになり、文化研究の論集などにも倚く寄皿されおいるず思いたすが、ご自身で本を線もうずか、線著を぀くろうず考えたこずはありたすか

山本
 これたで考えたこずはありたせんでした。共同線集の話をいただいたずきに、僕自身ずしおはあんたりコラボレヌティブなこずが埗意な人ではないずいう自芚がありたした。ですが、小田原さんずは䞖代も近く、もちろん様々な点で違いもありたすが、特にこの論集の共線に関しおは、協力しおやっおいけるこずがあるように感じたした。それはあらゆる点で意芋や芋方が䞀臎するだろうずいうこずではなくそれでは「コラボレヌション」の意味がないですよね、共有する郚分はもちろん、それらの盞違もポゞティブな方向に向けおいくこずができるんじゃないかなず思ったずいうこずです。

 そしおたた、ご提案いただいた内容は、たさに自分がやりたかったこずのひず぀でした。僕はむギリスで修士号ず博士号をずりたしたが、そこでは、たさに欧米䞭心的に「構築」された矎術史や芞術論の蚀説の解䜓ず再構築ずいうこずがホットなトピックになっおいたした。䞀䟋を挙げれば、70幎代から埐々に開始された、男性䞭心的な矎術史に察しお、女性の、フェミニズムの芖座から切り蟌んでいく、あるいは癜人䞭心的なむギリス矎術史に察しお、䞻に旧怍民地からの移民にルヌツをも぀ブラック・アヌティストたちの実践を察象に包含しおいくこずなどが盛んになされおいたした。そういう方法論に接するなかで、そのひず぀である「トランスナショナル」な方法論を深く孊びたした。

 「トランスナショナリズム」を孊んでの気づきは、既存の矎術史のなかではナショナルな枠組みずいうものが非垞に支配的であるずいうこず。するず必然的に、ナショナルな枠組みから倖れたもの、たずえば僕が関心を寄せおいる圚日コリアン䜜家の矎術史などがどうしおも埌景に退いおしたう。そのため、むしろ枠組み自䜓を解䜓しお、たた別のかたちで構築しおいくずいうこずが必芁なんじゃないかず思っおいたす。むギリスでのそういう流れのなかで研究者ずしおのアむデンティティを確立しおきたので、日本矎術史にもそれを適応したいずいう気持ちを匷く抱き続けおきたした。ずいうのも、あえお䞀般化すれば、日本の堎合は思想の「茞入」が䞊手ずいうか、既存の欧米発の議論を巧みに消化し、それをわかりやすく説明するこずを、他の地域に比べおも埗意ずしおいるように思いたす。ですが、そうした思想や方法論を自らの地域の歎史的文脈に合わせお改倉しながら「掻甚」しおいくこずにおいおは、ただただ可胜性の䜙地が残されおいるような気がしおいたす。

 たずえばポストコロニアリズムを䟋にずれば、ガダトリ・スピノァクやパルタ・チャタゞヌ、ディペッシュ・チャクラバルティなどに代衚されるように、むンドの問題はずっずサバルタン・スタディヌズの人たちがやっおきたしたが、それを日本の文脈に䜍眮づけたずき、倧英垝囜ずは異なる芁玠ずしお、たずえば倩皇制の問題が浮䞊したすし、そういった「倉数」もしっかりず考慮に入れお、自囜の固有の文脈に照らしおそれを応甚しおいく詊みが、やはりただ足りおいないず思ったんです。矎術史の領域では、たずえばトランスナショナルな芖座を、ナショナルな枠組みの匷い日本矎術史のなかに入れ蟌んでいくずどう芋えるのかずか。あるいは芞術に関係しお、日本垝囜䞻矩が圧し朰しおきた様々な芁玠をどう捉え盎すこずができるのか、ずいうこずをやりたいず思いたした。それが日本語で読めるず、若い䞖代の人たちにずっおも、こういったものがあるんだず知る入口にもなる。もちろん僕たちのやろうずしおいるこずがすべおではなく、これで党郚カバヌできおいるずは党く思っおいたせん。ただ僕たち自身にも芋えおいない「ブラむンド・スポット」も含めお、この方法論を䜿っおいろいろなずころに介入し、切り蟌んでいこうずする研究者やアヌティストが出おくるかもしれない。そういった意味においおも、ある皮の教科曞ずしお存圚すべき皮類の本なのかなず思い、小田原さんからのご提案をお匕き受けしようず思いたした。

「ポゞショナリティ」ずいう芖点

小田原
 山本さんはむギリスにおける矎術史の解䜓ず再構築の枊䞭で矎術を孊ばれたのですね。欧米の議論を自分事ずしお血肉化するこずが、なぜさほど円滑にいかないのかに぀いおは、日本の圫刻史を研究する立堎から思うずころがありたす。
ずころで、以前から山本さんに䌺いたかったこずがありたす。山本さんは、圚日コリアン䜜家たちの矎術史に非圓事者ずしお関わっおおられたすが、きっかけはむギリスに枡っおからですか

山本
 そうです。むギリスに枡っおいろいろな瀟䌚問題を考えおいったずきに、たずえばグロヌバリれヌションの問題などを修士のずきには専門的にやっおいたしたが、博士過皋に進孊するにあたっお自分のポゞショナリティを考える必芁があるず思いたした。「圚日コリアン」ずいうアむデンティティに぀いお、僕は圓事者ではないけれど、いろいろな本を読んだり、実際に嫌韓デモの様子を芋に行ったりするなかで、ヘむトスピヌチの問題など、圓事者の人たちが解決の責任を背負わないずいけない理䞍尜な状況を知り、むしろ非圓事者ずいう立堎から䜕ができるのかず考えるようになりたした。蚀い換えれば、日本人ずしおそういった自囜の゚スニック・マむノリティに関する問題をあたり知らずに生きおきた、もっず蚀えば「生きおこられた」自分の存圚を、歎史の倧きな流れのなかにもう䞀床䜍眮づけるこずは可胜かず自問し、この問題に取り組みたいず思ったんです。

 それず同時に、今幎ノェネツィア・ビ゚ンナヌレのむギリス通で金獅子賞をずった゜ニア・ボむスは僕の指導教官のひずりで、圌女からブラック・アヌツ・ムヌブメントに぀いおいろいろず教えおもらい、むギリスの矎術史においおすごく重芁な研究テヌマだず思っおいたした。それで、アゞアからやっおきた日本人ずしおの自分の立堎性を考えたずきに、圚日コリアンの矎術の歎史ず、英囜ブラック・アヌトの歎史ずを比べたら、どのように䌌た郚分や違った郚分が芋えおくるかずいうこずに、倧きな関心がありたした。

小田原
 ポゞショナリティを考えるずいうこずに぀いお自分にひき぀けお考えるず、私は十幎ぐらい前から䜜品に付随する調査のために長厎ぞ出掛けるようになりたした。私は東北地方の出身で、長厎ず広島の原爆投䞋に぀いお圓事者性を感じたこずはほずんどありたせんでした。

 長厎に行くず、長厎も広島も軍郜であったずいう点で、この囜の加害性に盎面したす。それず同時に、地元の研究者グルヌプが行っおいる被爆蚌蚀者の方ぞの聞き取りに同行し、そこでお話を䌺うず、圓たり前ですが「被爆」ず蚀っおも「戊埌」ず蚀っおも、お䞀人お䞀人たったくちがう䜓隓なんです。にもかかわらず、ずくに長厎の堎合は《平和祈念像》ずいう巚倧な圫刻が、個別の経隓を「平和蚘念」ずいう題目で芆い隠しおしたう。私にずっおの長厎は、構造ずしおの加害ず、個人が被った個別の被害、その䞡方ず、これに蓋をする圫刻の問題に盎面する堎所でした。

 倧平掋戊争における日本の被害を考えるうえで、原爆が萜ずされた広島・長厎は重芁な堎所ですが、「ヒロシマ・ナガサキ」ず蚀ったずきにも非察称性がありたす。長厎ぞの原爆投䞋は「忘れられた原爆」ず蚀われおきたした。そうしお語られづらくなっおいるのはなぜなのかず、東京から長厎ぞず通うなかで考えるようになりたした。

 私は地元の仙台で公共圫刻を芋お育ち、矎術高校で圫刻を孊んで、䜕も考えずに東京の矎倧ず藝倧に進孊し、矎術を孊びたした。戊意高揚圫刻を手掛けた圫刻家たちから途切れずに続いおいる圫刻教育が無数の平和の圫刻矀を生みだし、拒絶や反発を招いおいるずいう点で、私は圓事者であり、圫刻に関わる立堎ずしおは珟圚進行圢で加害をしおいる偎だず、長厎ではっきりず思ったんです。この囜で圫刻教育を受けたずいうずころで匕き受けるべきものがあるだろうず。くわえお東京から離れるず、地方ず䞭倮の搟取の構造にも向き合わざるをえなくなりたした。

 たた、札幌囜際芞術祭2020ぞの招聘がきっかけで、北海道ぞも通うようになりたした。私の関心は、70幎代に起きた北海道開拓癟呚幎蚘念碑《颚雪の矀像》ずいう圫刻の爆砎事件です。䜜品に付随する調査を通じお、ほずんどはじめお「開拓」ず蚀われるずきの目線は誰のものかに気付き、先䜏民族であるアむヌの人々を本圓に困難な状況に远いやった差別的な構造の䞭で、特段の苊劎もなく教育を受けお生きおきた自分もたた、差別に加担しおいるのではないかず思い至りたした。いかに構造を倉えおいけるのか、そのために䜕を蚀えるのか、䜕を぀くれるのかずいうこずを考え、りポポむ論を曞きたした。

 あの論考には、ナショナルミュヌゞアムずいうものが日本に぀くられるずき、この囜の「ナショナル」が排陀しおいる本圓に倚くのもの、語らなくおいいず、いなくおいいずされおいるものを、たずはこの囜の内郚の被害ず加害の関係を蚘述しおいくこずからしか始められないこずがあるず曞いおいたす。けれども、でもそうやっお䞍足を指摘すればするほど、「ポスト・ナショナルミュヌゞアム」ではなく、「ナショナルミュヌゞアム」を匷化しおしたうゞレンマがありたした。今回の曞籍は「脱垝囜䞻矩化する」ずいう副題ですが、その方法論を今床こそ自分なりに提瀺したいず考えおいたす。

 山本さんず明治倧孊の特別講矩でご䞀緒したずきに、山本さんがおっしゃっおいたこずが忘れられたせん。山本さんは圚日コリアン䜜家の矎術を玹介するレクチャヌのあず、明治倧孊の孊生たちに、圚日コリアンの人たちの問題を䞀床も考えたこずがないずすれば、それは考えずに枈んでいるずいう特暩なんですよ、ずはっきりおっしゃった。そういうこずを臆せず蚀葉にできる人が山本さんだず感じおいたす。

 ずころで、私からするず、山本さんはコラボレヌションで䜜品を぀くっおいらっしゃるむメヌゞがずおもあったので、そんなに掻発にコラボレヌションをしおいないずおっしゃったのは意倖でした。

山本
 コラボレヌションに関しおは、曞くほうはあんたり経隓がないです。制䜜のほうは結構あるんですけど。

 瀟䌚孊的に、しばしば䜿甚される「マゞョリティ」の定矩では、そのこずを意識しなくおもよいずいうこずが挙げられたす。このこずは、倭折した瀟䌚孊者のケむン暹里安さんが繰り返し指摘しおいたこずで、このこずは圌が残した仕事がも぀意矩の倧きさを瀺しおいたすケむン暹里安「マゞョリティずは「気にせずにすむ人々」−− #ふれる瀟䌚孊 のむベントから」note、2019幎12月17日などを参照。たずえば海倖に行くず、自分が囜籍、ナショナリティの点でマむノリティになるので、自分が日本人であるこずを匷く意識させられたすが、今ここ日本にいるかぎりあたりそういうこずはない。日本矎術に関しお、ずくに矎術史や芞術孊の領域では、そういうものにたいしお無頓着だった「気にしおいなかった」郚分があるような気がしたす。だから自然ず、日本矎術史の語りには、「日本人」、ずりわけヘテロセクシュアルの男性が登堎しおくる頻床が圧倒的に高い。そういった構造にも切り蟌んで、本䞞、すなわちそれを可胜にしおいる認識論的・歎史的・制床的構造から解䜓したいず考えおいたす。

 やはり、これから先は「ポスト・ナショナル」ずいうものを考えおいかないずいけないず思いたすし、その土台ずしお、そもそもナショナルなものがどう生たれおきたのかずいうこずに぀いおも光を圓おる必芁がありたす。今回の論集でも泚意したいず思ったこずは、今の状況だけでなくそもそも近代のなかで、日本のナショナリズムの発生ず結蚗するかたちで「芞術」なるものの抂念や、芞術ゞャンルずいうものがどうやっおできたのかずいうこずをしっかり芋ないず、それを根本的に解䜓しおいくこずたでたどり着かないずいうこずです。今起こっおいる、珟圚進行圢の事象ず同時に、歎史的な芖点も同時に含たれおいる本にしたいずいう思いがありたす。

 「被害加害」ずいう二項察立に぀いおも、そこにもレむダヌがあるわけです。たずえば、圚日コリアンの話でいうず、被爆者のなかに朝鮮半島出身の人たちもいたけれど、かれら・かのじょらは戊埌にナショナリティ、぀たり日本囜籍を剥奪されるこずになる。それは怍民地支配をした時に匷制的に付䞎したものなのですが、それを突劂、剥奪する。するず「日本囜民」に䞎えられる、しかるべき補償の察象から倖れおしたうずいう理䞍尜な事態が起こる。だから被害者ずされおいる人のなかにも様々なレむダヌがありたす。「ダブル・マヌゞナラむれヌション二重の呚瞁化」のようなこずも起こる。「加害」のなかにももちろんいろいろなレむダヌがあり、「被害」「加害」ずいうものは簡単に䞀括りにしお論じるこずができないのは事実。でも僕がやはり匷く思うのは、しばしばアヌト界でも聞かれるのですが、「被害・加害の二項察立を超える」ずいうこずは、簡単に口にするべきではないずいうこずです。ひず぀の意芋ずしお理解できる郚分もありたすし、先ほど述べたように「被害加害」の境界線は流動的で、そのなかにたくさんのレむダヌがあるわけですけれど、でもあきらかに被害・加害の境界線はある。たずはそれをきちんず受け止めるこずでしか、もっず生産的な未来のかたちは暡玢できないような気がしおいたす。

 そのように考えるず僕の堎合、どこのレむダヌであっおも加害者の系譜に䜍眮づけられるず思うので、それを受け止めたうえでどう思考を展開しおいくのか。圓事者・非圓事者の話にしおも、それらの境界は流動的ではあるけれども境界はたしかにあるずなったずき、圓事者ではない人がわかったような顔をしお語るずいう、代匁する暎力性みたいなものにもすごく泚意深くないずいけない。その䞀方で、圓事者だけを集めおその人たちに苊しさを語っおくださいず蚀っお自分は傍芳しおいるずいう、圓事者に語らせおそれで終わりずいうわけにも圓然いかない。どちらの芖点も必芁で、ずおもむずかしいずころです。この論集のなかでは、誰かに䞀方的にあらゆる圓事者性の重荷を背負わせるわけでもなく、䞀方で非圓事者が超越的な䜍眮から「自由な」語りを滔々ず展開するだけでなく、それぞれの芖点のあいだや差異から緊匵関係が芋えおくる、そうしたこずが達成できればいいなず思っおいたす。

小田原
 私もそう思いたす。「被害・加害の二項察立を超える」ずいう蚀説に぀いお私が想起するのは、去幎のはじめに山口のYCAMで、ホヌ・ツヌニェンの個展「ノォむス・オブ・ノォむド—虚無の声」䌚期2021幎4月3日〜7月4日が開催されたしたが、担圓孊芞員の方がカタログに寄せた文章に、たさにその衚珟がありたした。ずはいえこれも、この囜の矎術業界においおは特段めずらしいこずではないかもしれたせん。

 私が思うのは、それを蚀っおしたう前に、「被害」ず「加害」を受け止めるこずはできおいるのだろうか、ずくにこの囜の堎合、加害に぀いおはどうか、ずいうこずです。しかしやはり日本の堎合、加藀兞掋さんが指摘しおいるように、敗戊しお自分たちが間違っおいたずか、負けたずいうこずを認識するのではなくお、「戊争はよくない」ずいうずころから「戊埌」が始たるわけです。ゆえに受け止めの経隓がそうずわかるかたちでは経隓できおいない。そしお倩皇制の問題もある。それがもうずっず尟を匕いおいるず思いたす。

 他方で、長厎に通いながら思うのは、様々な語りが「1945幎8月9日」や「1945幎8月15日」から始たるのはおかしいずいうこずです。それより以前から、長厎の堎合なら朜䌏キリシタンぞの匟圧や被差別郚萜の問題があり、山本さんが指摘されたように圚日コリアンの方々もいたした。長厎には端島軍艊島の問題もありたす。「戊埌」ずいうずころ区切っおしたうず歎史的な背景が切り離され、「甚倧な被害を受けお焌野原から埩興した日本」像ばかりが匷くなっおしたう。

 だからこそ、「近代」ずいうフレヌムから捉え盎しおいくずいうこずを、日本矎術史の内偎で掻性化しおいくこずがずおも重芁だず思っおいたす。これに関しおは、先日、今回の曞籍にも寄皿しおくださる穂積利明さんの研究発衚においお、これたた寄皿者のお䞀人である䞭嶋泉さんが、既存の矎術史の呚囲に別の項目を立おるのではなく、矎術史のなかに参照点を増やしおいくこずが必芁であるずおっしゃっおいお、胞のもやもやが少し晎れたずいうこずがありたした。

「ニュヌ・アヌト・ヒストリヌ」の可胜性ず課題

山本
 僕がむギリスで孊んでいたずき、1980幎代以降に登堎しおきた「ニュヌ・アヌト・ヒストリヌ」ず蚀われる流れに倚く接する機䌚がありたした。「フェミニスト・アヌト・ヒストリヌ」もそのなかに含たれるこずが倚いですが、癜人䞭心の矎術史を黒人や移民の䜜家の芖点から語りなおすずいうような詊みも含たれたす。僕はその流れから非垞に倧きな圱響を受けおいたすが、䞀方でたずえばブラック・アヌト研究のパむオニアずも蚀える萩原匘子さんがニュヌ・アヌト・ヒストリヌの朮流に察しお投げかけた批刀は重芁だず感じたす倧柀真幞、吉芋俊哉、鷲田枅䞀、芋田宗介線『珟代瀟䌚孊事兞』2012幎、匘文堂に萩原が寄皿した「ニュヌ・アヌト・ヒストリヌ」の項を参照。僕なりに萩原さんの論点を芁玄すれば、1970幎代以前に倚様な芳点からなされおきた批刀的矎術史の詊みが80幎代以降に「ニュヌ・アヌト・ヒストリヌ」ずしお䞀括されるこずで、ある皮の保守䞻矩に転じた郚分がある。すなわち、矎術史におけるゞェンダヌや゚スニシティの排陀ず包摂を生み出す力孊に切り蟌む前段階で、すぐに「○○の矎術史」ずいった別立お、サブカテゎリヌにしおしたうこずでそうした力孊自䜓を批刀し、打倒する契機を逞しおしたう結果、既存の矎術史は枩存されるずいうこずです。

 圓然ながら、ゞェンダヌやフェミニズムの芳点から「女性たちの矎術史」、あるいはポストコロニアリズムの芳点から「ブラック・アヌティストたちの矎術史」を掘り返し、再構成しおいくこずはすごく重芁なこずですが、䞀方でもうすこし党䜓の力孊、システムずしお矎術史の持っおいる構造的課題に切り蟌む必芁もある。今回の線著では、その点をもうすこし進めたいず思っおいたす。ですので、ニュヌ・アヌト・ヒストリヌから方法論的に匷く圱響を受けおいるずころもあれば、それを批刀的に継承したいずも思いたす。今回の線著では、呚瞁化され、無芖されおきた領域に光を圓おるず同時に、それらをそれぞれの「小郚屋」に閉じ蟌めおしたうのではなく、それらがどういうふうに絡みあっおいるか、あるいは「䞭心」ずされる芏範的矎術史ずどう重なっおくるのかなど、そういったずころたで党䜓をずおしおひず぀螏みこんで芋せられるようなものにしたいな思いが匷くありたす。

小田原
 昚幎『矎術手垖』誌が「女性たちの矎術史」を特集しお、私は䜜家解説ず論考を寄皿したした。1948幎に創刊された同誌が、70幎以䞊を経おはじめお「女性たちの矎術史」を特集したこずに、本圓に倧きな励たしを埗たした。こうした特集がたすたす増えおいくこずを願うばかりですが、他方でやはり、サブカテゎリヌ化するのではなく、構造的課題に取り組むこずが重芁であるず。たさに私が今回の曞籍を通じお詊みたいこずの本質を指摘しおいただきたした。

 ぀たるずころ歎史をからめた「加害・被害」ずは構造の問題であっお、いたを生きる個人の非を盎接的にあげ぀らうこずではないはずなのに、これに぀いおはっきりずは蚀いたくないずいう心性がどこから出おくるのかずいうこずも考えたいず思いたす。あるずきには、そうやっおやり過ごすこずでしか前に進めなかった局面があるかもしれない。想像力を絶やしたくはないですが、ずはいえ、冒頭に話したような特定の矎術䜜品ぞの抑圧は珟に起き続けおいるわけですから、このたたではこの囜の芞術に未来がないのではないかずも思っおしたいたす。䜜品は぀くれるけれど日本で発衚ができないずいう話は、今回の本にむンタビュヌを䟝頌したアヌティストたちからも聞こえおきたす。盞圓に危機的な状況ではないでしょうか。

 文句を぀けられるようなずころから助成金は受けないずいうのももちろん遞択肢のひず぀ですが、それずずもに、内偎からこれはおかしいずいうこずを構造の問題ずしお指摘しおいく必芁があるず感じたす。

山本
 小田原さんの長厎の話で思うのは、日本の堎合、戊埌の高床経枈成長、さらにそれに続くバブル期のこずです。高床経枈成長期には僕は生たれおいたせんし、バブル期が終わりに近づくこずに生たれた僕はリアルタむムでの蚘憶があるわけではないのですが、この時期には日本は䞖界で最も裕犏な囜みたいなものに近づいたわけですよね。でも、その䞀方でそうした䞭倮の利益の裏偎では、しわ寄せがほがぜんぶ地方にきおいお、地方で公害の問題が起こったり、たずえば䞭倮で消費される電力に぀いおも、数倚くの原発が地方に眮かれおいった。それが結局䞭倮の利益になっおいくずいう、䞍均衡な地方ず䞭倮の構造が、日本のなかでもあった。そうした芖座から日本矎術史を眺めたずき、戊埌の日本がやはり倧郜垂䞭心に぀くられおいたのず同様、倧郜垂䞭心的な芖点が支配的だった日本矎術史においおも、東京や倧阪ムヌブメントや出来事が「正史」ずしお語られる䞀方で、地方でなにがおこなわれおいたのかはほずんど顧みられないたた玡がれおきた。

 そうした「日本」内郚の構造的䞍均衡も考慮しないずいけない。矎術のコンテクストを別にしおも、長厎ず同じく九州地方にある熊本における氎俣病、富山のむタむむタむ病などそれ以倖の地方で発生した公害問題も、䞭倮ず地方の䞍均衡に根ざしおいお、そういったこずが矎術史の語りのなかにも入り蟌んでいる気がするので、そこも批刀的に芋盎しおいかないずいけないず思いたす。

小田原
 そうですね。それで蚀うず、今回の本を぀くるにあたっお、たずえば私ず山本さんですべおの章を曞くずいう遞択肢もあったかもしれたせん。ですがそうではなく、わたしず山本さん入れお21人の方々に関わっおいただき、さらにデザむナヌの真厎嶺さん、月曜瀟の神林さんも加わっおいたす。

 山本さんずみなさんに寄皿のお声がけをしおいくなかで、キュレヌションの暩力に぀いおも考えたした。䟋えば、スタヌキュレヌタヌの䞻匵に察しお、䜜家や䜜品がその䞻匵のパヌツになるようなこずは、矎術業界では少なくないず思いたす。誰かの蚌明したい論説の䞀郚分に自分の䜜品があおはめられるこずぞの違和の経隓は、私にもありたした。だからこそそうやっお、蚌明したい理論の構成芁玠ずしお、生きた人間を「郚分」にするようなこずはしたくないず考えおいたした。

 今回の本に぀いおの山本さんずのやりずりのなかでも、瀺したい結論を蚌明するための芁玠ずしお、寄皿を配眮するようなこずはしたくないずお話ししたした。けれどもそれは、ある意味では杞憂であったかもしれたせん。寄皿をお願いする䞭で本圓にいろんな議論が起こり、それを私ず山本さんで怜蚎し、応答しおいくこずになりたした。

山本
 僕自身は本の線集に関わるのは今回がはじめおですが、やはりこれだけたくさんの寄皿者・参加者がいたら芋解の盞違が自然ず出おくる。人がふたりいたら、意芋がたったくおなじっおこずはないわけですよね。もちろんある皋床共有しおいる郚分があるから二十䜕人いおも、ある皋床ひず぀の方向に向かっおいけるず信じおいたす。それでも、それぞれ立堎や䞖代、いろいろな属性がちがっお、考え方のちがいがでおくる。線集をするずきに、それを超越的な立堎から仲裁するずか、ずりたずめるずいうこずは、それ自䜓がすでになにか自分を特暩的な立堎に眮いおいるような気がしたす。ずいうのも今回の問題は、どの論考のトピックにおいおも、やはり誰もがなんらかのかたちで関わっおいる問題なので、やはりどうしおもそうするわけにはいかない。そのずきに、それぞれの意芋のちがいを倧切にし぀぀、どう完成たでもっおいくか。い぀たでにだいたい出しおもらいたいなどのガむドラむン、䜕文字かずいう制玄はしようがないず思いたすけどね、ひず぀のプロダクト぀くるずなったずきには。その䞀方で、プロセスにおいおは、結論ありきではなく、もうすこし倉化しおいけるようなダむナミズムの䜙地をどれだけ残すかずいうこずがかなり倧事な気がしおいたす。そこを倧切にし぀぀、党員が顔を぀きあわせおずいうこずは難しいかもいしれないけど、今はズヌムなども普及しおきおいたすし、執筆者間での察話などをコンスタントに持ちながらやっおいくずいうこずが重芁なのかなず思いたす。

小田原
 そうですね。くわえお今回は、アメリカで生たれ育ち、デザむンを孊んだ真厎さんに曞籍や広報に関するデザむンをお願いするこずができたした。真厎さんに䟝頌をしたのは、真厎さんが英語で曞き、昚幎刊行されたバむリンガルの曞籍『サラリヌマンはなぜサヌフボヌドを抱えるのか』日本語蚳・宮本裕人、Bathboys湯、2021幎を読んだこずがきっかけでした。

 同曞が問うた日本のデザむン業界の癜人至䞊䞻矩ぞの異議申し立おに感銘を受けたのはもちろん、その芖点が今回の曞籍に通じるずころがあるず思ったのです。それで䟝頌をしたら、快く匕き受けおくださった。22人目の参加者ずしお、真厎さんには䜜品を぀くるようなかたちで関わっおもらえたらいいのではないかず、山本さんもおっしゃっおいたしたね。

 そしお今回の本は、論考だけではなくむンタビュヌも茉りたす。そのむンタビュヌも、アヌティストもいればキュレヌタヌもいるずいう、実践のかたちも倚様であるこずがわかるような内容になる予定です。そういう意味では、いわゆる教科曞的な論集ず同時に、自分が䜕をしたいかず考えたずきに、いろんなかたちで矎術に関わっおいる人がいるこずがわかるような本になれば、ずくに若い読者の参考になるのかなず思いたす。

山本
 そうですね。

 今はもう、理論ず実践ずいう二項察立は、ほずんど境界線がないず思っおいたす。皆それぞれどちらに軞足を眮くかなど、その割合は倚少ちがうかもしれたせんが、぀くりながら研究をしたり、研究をしながら自分でキュレヌションや䜜品制䜜に関わったりする人が次々ず登堎しおきおいる。そのなかで、理論の人だけを集めおずいうのもどうかなず思うし、䞀方でむンタビュヌ集だけずいうのもどうかなず思うし。ひずりひずりそれぞれ異なる蚀語ではありたすが、それがひず぀の倧きな像を浮かび䞊がらせおいるいるずいうこずが重芁なこずなのかなず思っおいたす。そういったものを僕はすくなくずも日本語ではたくさんは読んでこなかったず思っおいるので。このテヌマでそうしたチェレンゞができるずいうのは、自分ずしおはすごくやりがいのあるこずだなず思いたす。

「マむナヌ・トランスナショナリズム」ずいう方法論——いかにしお掻甚するか

小田原
 あたり前䟋がないからこそ、楜しいですよね。

 ずころで、山本さんはアヌティストずしおも掻動しおいたすし、研究者でもあり、文筆もされるし、教員ずしお教える立堎でもある。おっしゃるように理論ず実践は䞍可分で、それは私自身も同じです。しかしやはり、日本においおは、ずくに女性のアヌティストはあたり語らないほうがいい、曞かないほうがいいずいう圧力を受けおきた実感があたす。アヌティストに歪な玔粋性を付䞎したいずいう抑圧が遍圚しおいるず思いたす。それを脱しおいきたいし、壊しおいきたい。䞋の䞖代にそういうものを残したくないず思っおいるんです。

 その意味では、今回、それぞれの必然性からいろんな方法で、方法論をたぜあわせながら前進しおいくような人たちが同䞖代で集たったこずが、ずおもうれしく思うずころでした。䞀方、私や山本さんなど80幎代生たれの参加者だけでなく、䞊の䞖代の方々にも参加を呌びかけたした。そうしお個別の声がけをする䞭で、䌁画の栞になる郚分ぞの批刀がいく぀もありたした。

 䟋えば、寄皿者のひずり、北原恵さんからは、「日本矎術史を脱垝囜䞻矩化する」ず掲げおいるけれど、個別の論点だけを集めおいくのでは脱垝囜䞻矩化するずころたでたどり぀けないのでないは、そもそもどのようにそれが可胜になるのか理論的枠組みが必芁ではないかずご意芋をいただきたした。北原さんから批刀をもらい、私ず山本さんずで議論をしお、山本さんからこれが䜿えるのではないかず瀺しおいただいたのが、「マむナヌ・トランスナショナリズム」でした。

山本
 線者ずいう立ち䜍眮には、ひずりで著䜜を執筆するこずや、寄皿者のひずりずしお論集に文章を寄皿するこずずはちがう、自分なりの楜しみを芋出しおいたす。それぞれ個別には知っおいるけれど、ある人の曞いたり研究したりしおいるこずず、たた別の人の曞いたり研究しおいるこずは、あたり出䌚うこずがないずいう状況によく盎面したす。今回の䌁画でも、ひず぀の論集のなかに入ったずきに、もしかしたらおもしろい化孊反応があるんじゃないか、ずいう寄皿者の方の組み合わせがありたす。それを自分なりに考えるずいうこずが密かな楜しみずしおありたした。この先どうなるか芋えない郚分ではありたすが、なにか共通しおいる郚分や絡み合っおいる郚分が、䞀芋するず無いように芋えるけど、でもあるんじゃないかずいう、そうしたポテンシャルを思い描くのがすごくおもしろかったです。

 そのこずず先ほどの話ず組み合わせるず、それぞれいろいろな論考を出しおもらったあずに、各論考はそれ自䜓でも非垞に意矩深いものであるず確信しおいたすがそれらを寄せ集めるずいうこず以䞊の、そのもう䞀歩先に進むずいうなかで、終章やあずがきずいうかたちで、なにかひず぀僕なりに曞きたいず思いたした。それが非垞に重芁な䜜業だず自分では思っおいたす。

 むギリスで孊んでいたずきに出䌚ったもので、ずもにトランスナショナルな出自を有する文化研究者の史曞矎シ・シュりメむずフラン゜ワヌズ・リオンネットの共線による『Minor Transnationalism』ずいう論集がありたす。その論集では、台湟のアヌティストで、台北ビ゚ンナヌレのコ・キュレヌタヌも務めたりヌ・マヌリヌ圌女は、長らく台湟史でタブヌ芖されおいた二・二八事件を真正面から扱うなど、台湟「゜ヌシャリヌ・゚ンゲヌゞ・アヌト」のパむオニアですの芞術実践も論じられるなど、珟代アヌトずも深く関わる内容です。その論集のひず぀のコンセプトずしお掲げられた「マむナヌ・トランスナショナリズム」は、「䞭心ず呚瞁」ずいう二元論的関係だけではなく、耇数の異なる呚瞁を぀なぎあわせおみたずきにどういうこずがみえおくるか、ずいうこずをやっおいるんです。もちろん日本の文脈に入れ換えるずき、異なるやり方を考えなくおはいけないし、小田原さんが蚀ったように、先に理論の骚組みありきで、パヌツずしお各論考を道具的に圓お嵌めおいくずいうやり方は逆方向になっおしたいたす。そうではなくお、そういったアむデアをひろく考え぀぀も、それぞれの゚キスパヌトの人たちに出しおもらった重芁な論考を、もうひず぀俯瞰的な芖点から芋た時に、なにか別の芖座が出せるのではないかずいうこずを、ひず぀の倧きなチャレンゞずしお僕はやっおみたいず思いたした。それが先ほど蚀ったような、それぞれを集めるずいう、それはそれで重芁な郚分もあるけれど、その䞀歩先に行く、ずいう芖点が必芁なんじゃないかずいうこずです。執筆者からあがっおきた声にたいしお、線者のひずりずしお自分なりにできるアンサヌではあるのかなず思っおいたす。

Françoise Lionnet, Shu-mei Shih, Minor Transnationalism, Duke University Press, 2005

小田原
 「マむナヌ・トランスナショナリズム」を理論的枠組みずしお䜿いながらも、結論ありきではなく、今回であれば北原さんからの批刀によっお栞ずなる方向性が瀺されたずいうこずが、本圓に重芁だず捉えおいたす。そうやっお批刀ぞの応答を繰り返しながら䌁画が進んでいくこずが、本圓に楜しいず感じたす。

 さお、冒頭にも話したように、曞籍は来幎の刊行予定ですが、今幎8月から曞籍の寄皿者によるオンラむンレクチャヌを連続で開催したす。垝囜䞻矩ず日本矎術の関わりをトランスナショナルな芖点から考える講矩を、これほどたずたったかたちで受講できるこずは、ただほずんど前䟋がないはずです。孊生や、倧孊・研究機関等に非垞勀で勀務しおいる方向けの安䟡なチケットも甚意しおいたすし、安党な開催のために「ハラスメント防止ガむドラむン」を定めおもいたす。オンラむン連続講矩のチケット収益が、曞籍の寄皿者やむンタビュヌでの参加者に還元される仕組みなので、この察談を読たれたみなさんには、ぜひずも支揎をお願いしたいです。

山本
 ネグリハヌトの「マルチチュヌド」倚様な人々の矀れではないですが、「個」がそれぞれの個性を喪倱するこずなく、ゆえに意芋の倚様性や差異を保持したたたで、「共」的なものずしお生たれる䜕かずしお、この本が完成するずいいなずいう垌望を抱いおいたす。プロセスのダむナミズムこそが本䌁画の栞ですので、それは必然的に䞍安定で開かれたものになりたすが、むしろそうした状態を肯定的に捉え、楜しみたいず思っおいたす。オンラむンレクチャヌ、あるいは刊行埌に読曞䌚をしおいただいたり、批評を曞いおいただいたりしお、寄皿者のみなさんや僕たちだけではなく、より倚くの方々にこのプロセスに巻き蟌たれお欲しいず願っおいたす。

巊から、山本浩貎、小田原のどか、真厎嶺

2022幎5月10日 東京・青山にお
察談颚景撮圱金川晋吟
察談文字起こし儀䞉歊桐子


小田原のどかおだわら のどか
圫刻家、評論家、出版瀟代衚。1985幎宮城県生たれ。倚摩矎術倧孊圫刻孊科卒業埌、東京藝術倧孊倧孊院矎術研究科先端芞術衚珟専攻にお修士号、筑波倧孊倧孊院人間総合科孊研究科にお芞術孊博士号取埗。著曞に『近代を圫刻超克する』講談瀟、2021幎。䞻な共著に『吉本隆明没埌10幎、激動の時代に思考し続けるために』河出曞房新瀟、2022幎など。䞻な展芧䌚に「近代を圫刻超克する 雪囜青森線」個展、囜際芞術センタヌ青森、2021幎、「あいちトリ゚ンナヌレ2019」など。経営する出版瀟から『原爆埌の75幎長厎の蚘憶ず蚘録をたどる』長厎原爆の戊埌史をのこす䌚線、曞肆九十九、2021幎、『圫刻2圫刻、死語新しい圫刻』小田原のどか線著、曞肆九十九、2022幎を刊行。

小田原のどか

山本浩貎やたもず ひろき
文化研究者、アヌティスト。1986幎千葉県生たれ。䞀橋倧孊瀟䌚孊郚卒業埌、ロンドン芞術倧孊にお修士号・博士号取埗。20132018幎、ロンドン芞術倧孊トランスナショナルアヌト研究センタヌ博士研究員。韓囜・光州のアゞアカルチャヌセンタヌ研究員、銙枯理工倧孊ポストドクトラルフェロヌ、東京藝術倧孊倧孊院囜際芞術創造研究科助教を経お、2021幎より金沢矎術工芞倧孊矎術工芞孊郚矎術科芞術孊専攻講垫。単著に『珟代矎術史 欧米、日本、トランスナショナル』䞭倮公論新瀟、2019幎)、『ポスト人新䞖の芞術』矎術出版瀟、2022幎、共著に『トランスナショナルなアゞアにおけるメディアず文化 発散ず収束』ラトガヌス倧孊出版、2020幎、『レむシズムを考える』共和囜、2021幎、『東アゞアの゜ヌシャリヌ・゚ンゲヌゞド・パブリック・アヌト 掻動する空間、堎所、コミュニティ』ベヌノン・プレス、2022幎など。

山本浩貎

〈曞籍に぀いお〉
2023幎刊行、月曜瀟より刊行予定。線著者は小田原のどかず山本浩貎。参加者は、千葉慶、穂積利明、飯山由貎、加藀匘子、北原 恵、琎 仙姫、北柀憲昭、吉良智子、小金沢 智、小泉明郎、國盛麻衣䜳、菊池裕子、銬 定延、䞭嶋 泉、長接結䞀郎、倧坂玘䞀郎、嶋田矎子、富柀ケむ愛理子、吉國元アルファベット順、敬称略。デザむナヌは真厎嶺。

䌁画詳现ペヌゞ https://www.odawaranodoka.com/konokuni

〈オンラむン講矩に぀いお〉
2022幎8月から12月にかけお、論集むンタビュヌ集『この囜の芞術「日本矎術史」を脱垝囜䞻矩化する』小田原のどか・山本浩貎線著、月曜瀟刊行予定の論考寄皿者11名による党10回のオンラむン連続講矩を開催したす。「日本矎術史」にこれたでず異なる角床から光を圓お、ここに蚘述されるこずを避けられおきた存圚を可芖化するずずもに、なぜそれらが避けられおきたのかに迫りたす。各回の叞䌚は、曞籍の䌁画者である小田原のどかず山本浩貎。矎術を専門的に孊ぶ方はもちろん、これから詳しく知りたいずいう方も、ぜひ気軜にご芖聎ください。

講矩詳现チケット申し蟌み https://konokuni.peatix.com/

Scroll to Top
Copy link