森山大道のOn the Road

宅野 (3)

大竹昭子

 山に挟まれた小さな入り江にできた町には平地が少なく、目抜き通りをそれるとすぐに浜の方向に地面が傾斜した。民家のあいだを抜ける細道を一列になって歩いていく。ひと気のない庭先につながれた犬が、そこより一段高くなった道を進んでいる私たちをじっと目で追い吠え立てた。午後のこの時間、人間たちはどこで何をしているのか、不思議なほどだれにも出会わなかった。

 「ぼくは小さいときから町をふらふら歩くのが大好きで、うろつきまわってばかりいたんですけど、ぼくの写真はそういう性癖とカメラが合体してできたにすぎないんです」
 前日に美術館で行われたトークショーで森山は路上スナップにこだわる理由をそう語った。町をうろつくのを覚えたのは宅野に来る前、福井でのことだった。まだ社宅が完備してなくて炭屋の2階に間借りしており、大家に気がねしつつの暮らしが子ども心にも負担で、家を空ける口実として父を迎えに行ったのだった。
 毎日、忠犬ハチ公のように決まった時間に家を出て駅にむかう。あの道、この道と道順を変えながら歩くうちに、散策の時間がなによりも楽しいものになった。雪が降り積もる冬場の暗い風景、路端に立つ赤いゆで蟹の屋台、進駐軍の家の窓からのぞき見たクリスマスツリーのまばゆさなど、『犬の記憶』にはそのときの情景が鮮やかに記されている。

「街はずれの畑の中に青いペンキを塗った一軒の家があった。当時は北陸のそんな小さな街にまで進駐軍は入り込んでいたものか、その青い家にはいつも夕方になると外国の兵隊がたくさんいた。僕はいつも暮れがたになると駅まで父を迎えに行く習慣だったが、その途中でかならずその家のなかを道端から格子窓のガラスごしに中を覗き見るのがきまりだった。おでこをつめたいガラスにぴったりくっつけて、息をつめていつまでもいつまでも覗いていた」

 宅野では大工や左官の作業は見られても映画館や本屋はないし、街のざわめきにはほど遠かった。当時の楽しみは1年に2、3回、ひとりで大田の街に出かけることだった。仁万駅から山陰本線で3駅で大田に着く。街では映画を見て本屋をのぞき、あとはただ好きにうろつきまわればよかった。『にっぽん劇場写真帖』のなかに、映画館の絵看板を見上げている少年の写真があるが、これは当時の森山の姿を思わせる。福井で覚えた放浪は乗り物と結びついて小さな旅の様相を呈していたはずである。

 道の先が明るく開けて小高い丘の突端に塀に囲まれた三角の土地に出た。
「ここが代々の墓所だったところです。墓自体はもう埼玉に移してしまったけど」
 正面にあった墓が取り払われ大きな空白が出来ていた。まわりに残っている小さな墓碑には祖父母や双子の兄の名が読み取れた。森山は塀際に立ってタバコを点け遠くに目をやった。眼下には宅野特有の黒々した瓦屋根がならび、そのむこうには低い山並みが紙細工のように平たく連なっている。視線を横にずらせば傾きかかった陽射しにきらめく海原が望めた。鉄道駅からも自動車道からも離れた、知らなければそのまま通り過ぎてしまうほど小さな海辺の集落だった。

 父、兵衛はこの町から明治大学に進学し、卒業後は住友生命保険会社に就職した。母は日本橋の呉服屋の娘で、結婚前は神田の共立女子専門学校で家政科を教えていた。神保町の写真館でふたりで撮った写真が残っている。母は神田あたりで父にみそめられ、田舎育ちの青年の純情さにほだされて付き合うようになったのではないか、そう森山は語る。
 一本気で熱しやすい父と物事を冷静に見つめる母というように、ふたりの性格は対照的だったが、文学への興味で一致していた。家には文芸誌や小説があふれ、文学談義もよくなされていた。10代の森山が大衆小説にはまったのもその影響である。俳句の結社に入っている父ができた句を得意になって披露すると、母がそれを手厳しく批評するというような光景が日常的にあり、子ども心に芸術的資質は母のほうが勝っているのを感じていた。
 育ちのちがう両親をもったことはよかった、のちに森山はそう語るようになる。実際、森山を見ていると村落共同体的な義理がたさと物事を距離を持って見つめる都会的クールさが同居しているのが感じられ、双方の特質を等分に引き継いでいるような印象がある。

宅野

大竹昭子(おおたけ・あきこ)
ノンフィクション、エッセイ、小説、写真評論など、ジャンルを横断して執筆。トークと朗読の会<カタリココ>を各地で開催している。 著書に『この写真がすごい2008』(朝日出版社、2008)、『きみのいる生活』(文藝春秋、2006)、『眼の狩人』(ちくま文庫、2004)、短編集『随時見学可』(みすず書房、2009)、『あの画家に会う 個人美術館』(新潮社とんぼの本, 2009)、長編小説『ソキョートーキョー』(ポプラ社、2010)など他多数。
web: 紀伊國屋書店「書評空間」の同人。草森紳一記念館「白玉楼中の人」で「目玉の人」を不定期連載。

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