『自らがん患者となって ――私の胃全摘とその後:がん研究と臨床の明日に想いを致す』』
杉村隆 著
生化学者としてロゴスの化身、それに先だって医師として生命のふるえを触知するヌースの人であり、かつがん患者として一人の病者である著者の、重畳するペルソナが、自らの身体過程をそれぞれに掬い上げる。これはたおやかな精神の劇だ。胃の全摘によるダンピング症状の避け方から、ピエリシンによるがん治療の可能性まで、知性の翼が翔ける。
「自らの無力を 心に刻み おごることなく」 なみはずれた知性と 微細をきわめるテクネー を身に帯びた まぎれもない医神の裔 が自らの身体の深奥を 分析する
1926年東京に生まれる。49年東京大学医学部を卒業。癌研究会付属癌研究所、米国立がん研究所をへて、62年7月国立がんセンターに生化学部長心得として着任。74年には国立がんセンターの研究所長に、そして84年に第七代の総長に就く。着任からこのかた、日本はもとより世界のがん研究と臨床のありうべき姿を指し示し続け、この間78年の文化勲章(日本の科学にとってエポック・メイキングな出来事であった)をはじめ内外のおびただしい賞を受章している。92年総長を辞して名誉総長となった。現在、財団法人日本対がん協会会長など公務が多い。専門書は枚挙にいとまないが、一般読者のために『発がん物質』(中公新書、82)『がんよ驕るなかれ』(岩波現代文庫、2000)などがある。
「病気も様々である。「がん」だけが病気ではない。現に、私は心臓の冠動脈の硬化があり、いつどこで、どんなことが起こるかも分からない。つまりいつも空元気の裏に不安がある日々を生きている。あまりそれを人に気づかれないように。」(「あとがき」より)
生物が好きだから生化学に進んだ、という意味のことを著者は『私の履歴書』に書いていらっしゃいますが、生物とは「いのちのプロセス」、まぎれもなくアスクレピオス、ヒポクラテスの血を享けた「医師」が自らの身体の内側をどのように観察するか、じつに興味深い本作りでした。
ご自分の体験に発しながら、その思考の対象は極めて普遍性の高いものとなり生物学全体に及ぶ。…がん学60年の碩学にして始めて記せる内容と思う。[国立がんセンターニュース」06.01 評者=総長・垣添忠生]自らの経験をがん研究や、将来のがん患者のために活かそうという思いにあふれている。[「日経サイエンス」06.03]
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