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第一章
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縁(四縁)の考察 |
第二章
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運動(去ること)の考察 |
第三章
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(眼などの)認識能力(根)の考察 |
第四章
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集合体の考察 |
第五章
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要素(界)の考察 |
第六章
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貪りと貪る者の考察 |
第七章
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<作られたもの>(有為)の考察 |
第八章
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行為(業)と行為主体の考察 |
第九章
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先行するものの考察 |
第十章
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火と薪の考察 |
第十一章
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前後の究極に関する考察 |
第十二章
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苦の考察 |
第十三章
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<形成されたもの>(行)の考察 |
第十四章
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結合の考察 |
第十五章
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<それ自体>(自性)の考察 |
第十六章
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束縛と解脱の考察 |
第十七章
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行為(業)と果根の考察 |
第十八章
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アートマン(我、主体)の考察 |
第十九章
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時の考察 |
第二十章
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原因と結果の考察 |
第二十一章
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生成と壊滅の考察 |
第二十二章
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如来の考察 |
第二十三章
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顛倒した見解の考察 |
第二十四章
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四つのすぐれた見解(四諦)の考察 |
第二十五章
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ニルヴァーナ(涅槃)の考察 |
おわりに
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黒崎宏
1928年東京に生まれる。1966年東京大学大学院博士課程(哲学)を修了。ながく成城大学教授をつとめ、現在は同大学名誉教授。ウィトゲンシュタインとの交感にもとづいたしさくをくりひろげ著書訳書も多い。主なものは『科学と人間』『「語りえぬもの」に向って』『言語ゲーム一原論』『ウィトゲンシュタインと「独我論」』(以上勁草書房)『ウィトゲンシュタインが見た世界』(新曜社)『ウィトゲンシュタインと禅』『ウィトゲンシュタインから道元へ――私説「正法眼蔵」』(以上哲学書房)など。
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私は、ついに空の思想の、後期ウィトゲンシュタイン的表現にたどり着くことが出来た。(「おわりに」より)
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『ウィトゲンシュタインと禅』『ウィトゲンシュタインから道元へ――私説「正法眼蔵」』に続いて、三部作が、ここに完結しました。哲学の眺望が変わりました。わけても本書は、難解を極める『中論』を、やさしく読めるところまで噛み砕いた偉業です。
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「西洋の哲学を専門としながら『中論』を論じた学者はいままでもいた。本書の凄さは、(付加的に小乗の教えを説明した26章、27章を除く)すべての偈が掲げられ、それらに註解が施してある点だ。手前勝手な釈義ではない。出典が明記され、仏教学の通説とは異なる読みが示される場合にはその旨、特筆されている。
現代言語哲学を媒介として、仏教の悟りに肉迫する。仏教者に限らず、哲学的な思索が好きな人なら、一度は挑んでみたい高峰ではあるまいか。」
(宮崎哲弥・10月10日付「朝日新聞」書評より) |
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