黒崎宏 著
迷いも死も含めての全面肯定と、生も滅も世界さえもの全面否定と、これらを越えた安心立命。道元はさらに一歩超出する。つまり絶対的な肯定、自受用三昧だ。これはニーチェの大いなる肯定、永遠回帰に通じる。その底に存在への信仰がある。言語ゲームの世界における「意味」とその背後の「存在」に辿り着いたウィトゲンシュタインと道元が交感するのだ。
縁起に身を任せ 生も滅も 思わない 自受用三昧
一筋の「けもの道」が見えて 『正法眼蔵』が読めた と感得するまでの思索の記録
「不生」なるものは いかにして生じるか
1928年、東京に生まれる。1966年東京大学大学院博士課程(哲学)を修了。ながく成城大学教授をつとめ、現在は同大学名誉教授。ウィトゲンシュタインとの交感にもとづいた思索をくりひろげ著書訳書も多い。主なものは『科学と人間』『「語りえぬものに」向かって』『言語ゲーム一元論』『ウィトゲンシュタインと「独我論」』(以上勁草書房)『ウィトゲンシュタインが見た世界』(新曜社)『ウィトゲンシュタインと禅』(哲学書房)など。
何かが音を立てて弾けた、・・・そしてジャングルの中に一筋のけもの道のようなものが見えた、と思われたのである。そこで私は、その先に見える『正法眼蔵』の核心と思われる所を書き留めてみよう、と思った。(「はじめに」より)。
2月17日付「朝日新聞」宗教欄に、著者の原稿「私と出会う」が掲載され、それを読んだ読者から、早速注文がきております。ウィトゲンシュタインと響きあいながら哲学して、円熟期に入った著者の、味わい深い道元論です。
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