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ルソー『化学教程』翻訳プロジェクト

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第五回

『化学教程』
第一部
第一編  物体の諸要素とそれらの構成について

第二章 物体の混合と構成について

1 [A:26, F:35, C:81]ベッヒャーの考えに従って、私たちは物体の物質的な原質ないし物質的な要素を説明してきた。そして、今やその物質の構成compositionを検討せねばならない。すなわち、どのように諸々の原質は、自然的物体を形成するために、一定の比率と組み合わせをもって結合しているのか、ということを検討せねばならない。

2 あるペリパトス学派〔アリストテレス学派〕のひとに物体の混合に関するあなたの学説とはどのようなものか、と尋ねれば、彼はまずこう答えるだろう。物体は、その特性tempéramentおよび固有な諸性質を各物体に与える要素同士の何らかの協働の結果として生じる、と。[A:27]さらに彼を問い詰めて、例えばこう聞いてみよう。なぜ、鉛に結合する錫は銀とは結合しないのか。その理由を彼はいとも簡単に説明するだろう。錫と銀は〔互いに〕反対物質substances contrairesであり、異なる性質températureのものであるからだ、と。あるデカルト主義者は、間隙poreといった形象や粒子といった形象、そして様々な運動によってあらゆる難問を解決するだろう。さらには、未知の性質と遭遇すると、彼はそれらを新たな運動と形象によって説明するだろう。あるニュートン主義者は、ペンを片手に結合力の度合いと引力を計算するだろう。上に挙げた彼らの回答によって、私たちは物体の構成についてより明るくなるだろうか? そのようなことはまったくない。哲学者の様々な体系のあいだを一生右往左往するよりも、化学者の実験室の中でしばらく過ごすほうが、物体の構成についてあなたはより得るものが多いであろう。したがって、確固たる実験によって物体の真の構成constitutionおよびそれらの混合、組み合わせを示すことは、ただ錬金術の学science spagyrique(1)にこそ求められるのだ。この知恵とは深遠かつ興味深い研究であり、[F:36]私たちはこのような研究を哲学者たちの書物に見出すことはまずない。抽象的な体系と観念で頭がいっぱいなので、彼ら哲学者たちは言葉〔遊び〕にばかり夢中になっている。彼らが一体どれほど無学なのかを彼ら自身が知らないのは、ただただおめでたいことである。物体の生成やそれを構成する原質やその混合が形成される仕方を何も知らずに、物体の本性について哲学しようとすることは、あたかも箱の中に入っているものを知るためにその箱をあれこれとひっくり返したり戻したりすることで満足し、また箱の中身を確認する骨折りをせずに、箱の寸法を正確に測ることだけで満足するようなものである。

(1) スパジリックという語については『アカデミー・フランセーズ辞典』(1762年)の次の項目を参照。すなわち「SPAGYRIQUEないしSPAGIRIQUE。形容詞、もしくは女性名詞。金属を分析し賢者の石について探求することを専門とする化学のことを言う。金属化学ないし金属学と同じものである」(Dictionnaire de l’Académie française, art. « Spagyrique », t. II, p. 757 b)。また、spagyriqueが錬金術alchimieないし化学chimieと同義で使われている例としてはゲオルク・エルンスト・シュタールの『理論化学および演習化学の基礎Fundamenta chymiæ dogmaticæ et experimentalis』(1723年)の序言を参照(Stahl, Georg Ernst, Fundamenta chymiæ dogmaticæ et experimentalis, Norimbergæ : Sumptibus Wolfgangi Mauritii, 1723, Proemium, § 1, p. 1)。シュタールによれば、「化学chymiaあるいは錬金術alchymiaないしスパギリカspagiricaとは、混合状態、構成状態あるいは凝集状態にある物体をその原質へと分解するため、あるいはそういった物体を諸々の原質から構成するための技術である」。

3 [C:82]物体の中には、万人がまずもって目にする様々な〔視覚的〕性質がある。しかしそれらの性質は、様々な光〔知識〕lumièresに助けを求めなければ、物体の本性を発見するためにはなんの役にも立たない。たとえば、〔ワインを知らない〕あるラップ人にワインを差し出せば、彼はそれが発泡酒か否か、白か赤かを一瞬にして知るだろう、そしてそれを飲めば酔うということにもすぐに気づくだろう。しかし、[A:28]このようにワインの性質を瞬時に知ったからといって、彼がブドウやブドウ畑を一度も見たことがないならば、彼はワインの本性を知っていることに果たしてなるだろうか? また、ブドウやブドウ畑を見た彼にとって、ワインとはブドウから作られるものでしかないならば、彼は「ワインはこれこれの仕方で作られ、ブドウの育成にはこれこれの物が有効であり、反対にこれこれのものが害であると、私は思う」ということ以上の何かを同郷人に伝えることが果たしてできるであろうか? しかし、ラップ人がそう言ったからといって彼がワインの本性を知っているということにはまずならないだろう。またブドウの酸味のある果汁が、どのようにして心地良く甘い汁になるのかということを知っていることにはまずならないだろう。なぜブドウの汁は発酵するのか、どのようにしてその汁はワインの性質を獲得するのか、そしてこのワイン自体はどのようにしてブランデーの性質や酒石tartreの性質、澱の性質、ビネガーの性質を獲得するのだろうか? ブドウの樹の各部分の姿かたちを記述することは植物学者の役目である。自然学者は仮説によってブドウの樹の植生法則のいくつかを説明するように努める。そして、化学者は両学者が扱わなかったことについて語るのである。化学者の様々な研究はあまりにも不可欠であるのだが、同時にそれは残念ながらこのうえなく困難なものでもあるのだ。なぜ困難なものであるかというと、それは主として三つの理由による。[F:37]第一の理由は、あらゆる自然的混合物を知るために理解せねばならない組み合わせが無数に存在するということである。この地を覆い、その内部を充たしている並外れた数の様々な物体を見よ。確かに原質とは様々な種類の物体を構成するものであり、物体はその素材となる一次ないし二次的な原質の多様な混合物に過ぎない。しかしながら、この地を覆う物体の並外れた多様性について〔少しでも〕考えを抱こうとするのであれば、数の組み合わせを想像するのが一番よい。その組み合わせは、八つの物体だけでも四万通り以上にものぼってしまうのである(1)。第二の理由としては次のとおりである。すなわち、有名な著者〔フォントネル〕が言ったように事実に基づいて本性を把握することが、またその本性を混合物の生成段階のうちに見出すことが、不可能であるとは言わないまでも、大変難しいからである。[C:83]この困難さゆえに、私たちは錬金術の技術にまずもって助けを求めざるを得なくなるのである。というのも、その技術は私たちに混合物をその構成部分へと分解することを教えてくれるからである。ついで、この分解された構成部分を再び組み合わせ、こうすることによって類似の混合物を再び生み出そうとする際に、錬金術の技術は自然の操作を模倣し再現することに役立つ。[A:29]ちなみに金属の原質やその他、〔物体を構成するのに〕必要なものを揃えて金属の混合〔という操作〕を行ったとしても、そのような金属の混合からは、〔分解される前の金属と〕同種の金属をこの世に生み出すことはできない。というのも、金属の構成部分を知っていたとしても、その構成部分がどのように結合されているかを知らなければ、私たちは最も重要な点を知らないことになるからである。無知な人が、このような金属の混合〔という操作〕について良く理解していると厚かましくも自慢することを、かのベッヒャーはよしとしない。最後に、三番目の理由は、私たちの器官の不十分さである。私たちの器官は、凝集形式une forme agrégativeのもとでしか原質も混合物も目にすることができない。このことをあなた方に納得してもらうために、例として、半ドラクマ(2)の良質な銀を十分な量の硝酸液eau forteの中で溶かしてみよう。そして、純粋かつ新鮮な5パントないし6パント(3)の雨水の中にこの溶液を混ぜてみよう。すると、視覚を使っても味覚でも嗅覚でも、この液体が水以外のものを含んでいるということをあなた方が見破るのは不可能になるだろう。とはいえ、水の一つひとつの粒子に銀という別の粒子が付着していることは確かである。[F:38]というのも、この水〔硝酸銀溶液〕をただの一滴でも、ありきたりの澄んだ食塩水の中にたらしてみたならば、この一滴の水は乳白色になり、少量の粉末状の銀を容器の底に沈殿させるからだ。その微細な銀の粒子一つひとつは以前にはまったく知覚されえなかったものである。この先、本書において私たちは多くの似たような観察をすることもあるだろう。

(1) 実際に8の階乗は40320である。この数値は、ベッヒャーの化学書『地下の自然学』でも例として用いられている。Becher, Johann Joachim, Physica Subterranea, Lipsiæ : Joh. Ludov. Gleditschium, 1703, lib. I, cap. 2, § 4, p. 187.
(2) 1ドラクマは、約3.24グラムである。
(3) 1パントは、約0.93リットルである。

4 〔化学的研究が困難であるという〕この事実を見逃しているという事態が化学の理論に対して与えている損害は計り知れない。自然学者自身が化学実験は困難なものであるという原則を無視する限り、混合、構成、原質の組み合わせ、原質の結合union、結合力cohésion、物体の連続を巡って展開するいかなる諸問題も解決することはないだろう。アリストテレスから今日に至るあらゆる自然学は常に混乱状態にある。というのも、自然学は凝集状態にある物体の変化と個別の粒子の各特性を混同してしまっているからだ。

5 上に示したような化学実験の難しさを心に留めておかねばならない。というのも混合状態のものであろうと構成状態のものであろうといま説明している粒子というものは、私たちのあらゆる感官を逃れてしまうくらいに微細なものであるのだが、[A:30, C:84]さらにこういった粒子は〔物質を構成する〕二つないし複数の要素部分の一組からできているのであるから。ちなみにこの要素部分は、粒子をさらに上回る極小なものである。というのも部分は必然的に全体よりも小さいのであるから。いま説明したことから次のことが帰結する。まず、混合という操作のためには人為の届く限り細分化された物質だけを用いなければならない、ということ。さらに、それら物質の組み合わせあるいは分解に際しては、これらの操作に相応しい器具instruments、つまり最小の粒子を動かし分割できるような器具のみを用いなければならない、ということの二点である。〔作り出される〕物質が液体または気体の場合、組み合わせと分解という操作は長時間に及ぶ浸漬〔消化〕digestionsになる。物質が固形ないし可融的なものの場合は、融合fusionsになる。物質が溶解性のものであれば、溶解や幾重にもわたる沈殿になる。物質が気体に還元可能なものである場合は、気体の状態における混合という操作になる。

6 二つないし複数の原質はその結合によってただひとつの物質substanceを形成する。[F:39]このような物質は何であれ混合物と呼ばれる。ところで、この混合物は非常に多くの種類に区別できる。というのも、まずはじめに、それら混合物を生み出す諸原質は、互いの間に一つの強力な結合を生じさせることができるからである。ちなみに、この結合はベッヒャーが核結合と呼んだような結合であり、それはガラスや不揮発性アルカリに見られるものである。あるいは、原質の結合力は弱く表面的なものであり、これは植物の抽出や鉱物の分解に見られるものである。さらに、様々な原質は混合するのであるが、その混合においては、原質の数はより多かったりより少なかったりと様々である。例えば、土の一粒は物質としては数の上では単体かもしれないが、その粒は要素から成る多くの粒子が凝集によって集められることから生じうる。したがって、〔結合の〕濃淡の度合いと任意に選ばれた原質の量の比率いかんによって、そしてどのような度合いであれ原質が結合することによって、非常に少ない数の原質でもほとんど無限とでも言えるほどに混合し、並外れた数の混合物を作り出しうるのである。

7 また、いわゆるこれらの混合物は第二原質principes secondairesとも呼ばれる。[A:31]というのも、他のあらゆる物体はその混合物から形成されるからである。ただし私たちは、この種の〔第二原質の機能を持つ〕混合物についてはわずかのことしか知らない。しかしながら、私たちは金や銀そしてあらゆる自然の中にあまねく存在する普遍的な酸性のエンをこれらの混合物と見なすことができるのだ。これらについて、順に話していこう。金と銀は、要素としての三つの土が異なる割合でひとつにまとまったものから形成される。普遍的な酸とは、水と第一のガラスの土première terre virtifiable――[C:85]これについては〔第一編第一部第一章で〕すでに語った――の混合から成る。さらに二つあるいはそれ以上の異なる種類の第二原質から成る混合物は、第三の物質を形成するために集まってひとつになることができ、その第三の物質の各粒子〔第二原質〕を感官は第二原質の粒子よりも捉えることができる。〔第三の物質を粒子と見なすならば、〕この新たな粒子は二次構成物あるいは二次混合物un composé ou mixte secondaireと呼ばれる。なぜなら、その粒子は一次混合物〔第二原質〕から生まれるからである。例えば、ワインの蒸留酒〔ブランデー〕は、ひとつの構成物である。[F:40]というのも、その蒸留酒は希薄化した油と植物性の酸から生じるからである。〔いま説明したことから〕さらに混合物であろうと単純な原質であろうとそれらの結合によって形成されるあらゆるものをこの〔第三の物質の〕階層に含まれるものとみなさなければならない。例えば、〔第二原質である〕鉱物性イオウや〔第三の物質である〕アンチモンという合金régule d’Antimoineのように。〔ちなみに後者の合金には二種類あり、〕一つは、普遍的な酸や可燃性の土から構成され、別の方は同じく可燃性の土とヒ素を含んだガラスの物質から構成される。

8 さらに、ベッヒャーが重構成物decomposita、超‐重構成物superdecompositaと名付ける構成物に関する他の次元が存在する。重構成物とは、異なる種類からなる二つないし複数の構成物である粒子〔第二原質〕によって形成される第三の構成物である。例えば、鉱物性イオウと合金から形成されるアンチモンが重構成物である。次の二つの場合にベッヒャーの言う超‐重構成物が構成される。一つは、複数の重構成物が一体化する場合である。もう一つは、ある物体がすでに充足状態(1)にある構成物に余計に結合し、そこにこの物体のうちにすでに含まれている部分のいくつかを混入させる場合である。この〔構成物に結合する〕別の物体は、混じりけのないもの、混合物、構成物のいずれであってもよい。超‐重構成物の例としては、[A:32]スイギンと何らかの金属から形成されるアマルガム合金(2)が挙げられる。〔この場合、〕スイギンというものは何らかの金属に余計に結びつくのであるが、これについてはあとで説明する。は乳白色になり、少量の粉末状の銀を容器の底に沈殿させるからだ。その微細な銀の粒子一つひとつは以前にはまったく知覚されえなかったものである。この先、本書において私たちは多くの似たような観察をすることもあるだろう。

(1) ここで「充足状態」と訳した原語はcompletである。この語は、一つの物体を成立させるに必要な原質(一次原質でも二次原質でもよい)がすでにきちんと揃っており、これ以上余計に付け加わる必要のない状態を指すと思われる。ゆえに、completを「充足状態」と訳した。しかしながら、このような考え方を取る場合、充足していない物体とは何かという問題が生じる。言い換えるならば、問題の所在はルソーが「物体corps」という言葉を使う際、何を想定し、またそれが「物質」や「原質」とはどの点で異なるかという点にあると思われる。
(2) スイギンと他の金属からなる合金は「アマルガム合金」と呼ばれ、「超‐重構成物」の範疇に属する。

9 以上のように、ベッヒャーは混合についての多様な次元を説明した。さらにベッヒャーは自然の三界に従って、この次元について、その種類、性質、さらにはその変容を区別している。ベッヒャーの学説に従えば土と水はあらゆる物体における物質の原質なのであり、この土と水はどこにあろうと土は土であり水は水であり、またシュタールが証明したように、土と水はある界から別の界へと移行するものなのである。確かにそうであるのだが、一つひとつの界にはこれら土と水の原質の異なった比率、〔ある界に〕固有の混合、粒子の特異な凝集が見出されるのである。それゆえに、水原質は鉱物界よりも[C:86]動物界や植物界の中に豊富に存在する。ここから推測されることは、[F:41]火原質〔フロギストン〕は〔密度が非常に高い〕鉱物界よりもむしろ動物界や植物界の中でいっそうよく展開するということである。というのも、すでに〔第一編第一章で〕語ったことだが、火を作用させるのに必要な水分が鉱物には不足しているからである(1)。同様に次のことが言える。鉱物界における混合は、動物界や植物界のそれよりもより密度の濃いものである、と。動物、植物界は〔鉱物界と比べて〕わずかな数量の原質によって構成され、かつそれらの密度が希薄である。それゆえにそれら原質同士の接点が少なくなるということは必然的であり、その結果〔動物、植物界の原質同士の〕結合力は脆弱であり、容易に分割しやすい。凝集に関して言えば、〔原質の結合の度合いが〕均質な部分と不均質な部分から構成される有機的物体を産出するために、動物、植物界のなかで凝集は、〔原質の結合の度合いに〕むらのある特異な配置distributionによって生じるに違いない。反対に、鉱物界において、凝集〔形式〕というものは鉱物の本質を構成するのにまったく必要ではない。50マール(2)の金塊が備えているであろうあらゆる特性を、金の一原子atomeは備えているのだ。最後に、動物界が植物界と異なるのは、諸部分の構造とその組織によってだけではなく、第二要素すなわち第二原質によっても異なるのである。例えば、エンは植物の中で優勢であり、[A:33]イオウは動物の中で優勢である。酸はほとんどの植物の中に見られる。対して揮発性アルカリは動物物質(3)の中に見られる。要するに、各界は、そこに属しているものの類似点、相違点を明確にするために、個別に検討するに値する。

(1) 『化学教程』第一編第一章にて、ルソーは「炎の活動は物体自身が含んでいる水の量に大部分は依存している」と述べている。というのも、物体に存在する火原質であるフロギストンが活動することによって当の物体は燃えるのであるが、鉱物のような密度の高い物体ではフロギストンは活動することが困難であるからだ。また、水を多く含む物体は、密度も低いと考えられてきた。したがって、水を含む物体はフロギストンも活動しやすいがために、燃えやすいと考えられていたのである。
(2) 約12キログラム。1マールは約244.8グラム。
(3) 「動物物質」については『百科全書』のヴネルが執筆した項目を参照せよ。「動物物質(分類:化学)。この一般的名称で私が呼ぶところのものは、動物のあらゆる多様な部分であり、化学が今日まで分解してきたところものである。この名称は、主に動物の硬質で有機的構造をなす部分を指す。たとえば肉、腱、軟骨、骨、角、爪、鱗それ自体、羽毛、硬毛などである」(Encyclopédie, art. « Substances animales », t. XV, p. 585 b)。

〔本章から読み取れる物質の諸階層についての図、横列は同次元に属する〕
ベッヒャーが定義する物質の次元 物質の次元に対応したルソーの用語 ルソーが本文で挙げている具体的物質名 感覚の可否
(ベッヒャーの言う本来的な意味の原質) 単純な原質 水、土(ガラスの土) 感覚不可
第二原質 一次混合物 金、銀、酸性のエン、希薄化した油、植物性の酸、鉱物性イオウ 感覚可
第三の物質あるいは重構成物 二次混合物 ブランデー、アンチモンという合金、スイギン 感覚可
超‐重構成物  — アマルガム合金 感覚可


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