シリーズ・古典転生

我と肉 自我分析への序論
ジャコブ・ロゴザンスキー

¥4,800 (税別)

松葉祥一/村瀬鋼/本間義啓[訳]

デリダ/アンリの高弟の主著、本邦初訳

  • 刊行年月: 2017.07
  • A5判上製480頁
  • 本体価格4,800円
  • 21.6 x 15.6 x 3.3 cm
  • ISBN978-4-86503-047-1

私とは何か――。その問いは今もなお古びてなどいない。ハイデガーの存在論とラカンの精神分析を批判的に乗りこえ、より根源的な自我の思想へとまっすぐに錨を下ろす、ラディカルな哲学。シリーズ・古典転生、第16回配本、本巻15。

原書: Le moi et la chair : Introduction à l’ego-analyse, Les Éditions du Cerf, 2006.

目次

序論
第一部 自我殺しに抗して
「私は死につつある」あるいはハイデガーの呼びかけ
「私は他者たちである」
「私は死(に臨)んでいる」
「個人には何の価値もない」(ハイデガーのナチズムについて)
〈存在〉の十字架
「私は鏡のなかに自分を見る死人である」あるいはラカンの主体
死像段階
「では誰が、私が死んでいることを知っていたのか」
「エスがあったところに、〈私〉が生じなければならない」(フロイトへの回帰?)
第二部 デカルトへの回帰
「彼が私を欺くなら、私は在る」
人間でもなく主体でもなく
「私は道であり、真理であり、生である」
私の失調の瞬間
「神の前で/神の代わりに仮面をつけて」(デカルトの遺産)
第三部 自我分析への序論
現象学の曖昧さ
内在野
肉的綜合――交叉
触れている自分にどのようにして触れるか――交叉の(不)可能性
触れられえないものと触れあって――残りもの
これは私の身体である(のではない)――身体化の残りもの
他人の彼方に
交叉の危機
憎悪から愛へ
原臨終から復活へ
解放へ向けて(内立)
文献一覧
訳者あとがき
事項索引
人名索引

 

紹介記事

  • 上村忠男氏短評(「図書新聞」2017年12月23日号「17年下半期読書アンケート」)
  • 廣瀬浩司氏書評(「週刊読書人」2017年9月8日号「あらたな思考の出発点をうちたてる――現象学的身体論の刷新へと波及する潜在性」)

ジャコブ・ロゴザンスキー(Jacob Rogozinski)
1953年生。フランスの哲学者。ストラスブール大学哲学科教授。邦訳論文が複数あるが、著書は本書が本邦初訳。このほかカント、デリダ、ドゥボール、アルトーらに関する著書(いずれも未訳)がある。

訳者:
松葉祥一(まつば・しょういち)
1955年生。同志社大学嘱託講師。専門は哲学、倫理学。著書に『哲学的なものと政治的なもの』(青土社、2010年)ほか。
村瀬鋼(むらせ・こう)
1965年生。成城大学文芸学部教授。専門は哲学、倫理学。
本間義啓(ほんま・よしひろ)
1978年生。成城大学非常勤講師。専門は哲学。

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