月曜社 Getsuyosha Limited 書籍出版 人文社会・芸術書

森山大道のOn the Road

大竹昭子

大竹昭子(おおたけ・あきこ)
ノンフィクション、エッセイ、小説、写真評論など、ジャンルを横断して執筆。トークと朗読の会<カタリココ>を各地で開催している。 著書に『この写真がすごい2008』(朝日出版社、2008)、『きみのいる生活』(文藝春秋、2006)、『眼の狩人』(ちくま文庫、2004)、短編集『随時見学可』(みすず書房、2009)、『あの画家に会う 個人美術館』(新潮社とんぼの本, 2009)など他多数。最新刊は 長編小説『ソキョートーキョー』(ポプラ社、2010)。
web: 紀伊國屋書店「書評空間」の同人。草森紳一記念館「白玉楼中の人」で「目玉の人」を不定期連載。
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連載13  

■宅野 (4)

 大阪池田の社宅で生をうけたのは1938年10月、その冬には広島に引っ越して2年過ごした後に祖父母の元に預けられ、1945年、宅野から千葉に移りそこで東京大空襲を目撃、4月に国民学校初等科に入学、8月に長かった戦争がようやく終わった。
 その後も父の仕事の関係で千葉、福井、宅野、豊中、京都と2、3年おきに引っ越しを繰り返し、度重なる転校によって勉学へ興味は薄らぎ、その反対に放浪にどんどんと惹かれていった。京都では私立平安高校に入学したが、ほとんど登校せずに放校になった。高校野球で有名な学校で、甲子園出場だけが学内の関心事であるような校風に馴染めなかったのだが、美術なら興味がもてるかもしれないという父の計らいで転校した大阪工芸高校でも状況は好転しなかった。いまでいう「登校拒否児」である。両親とも高学歴で教育熱心、姉も弟も学力優秀で学校嫌いの子供が出来る下地はどこにもなかったにもかかわらず、彼だけが学校を忌避したのだった。

 街の不良と付き合うわけでなく、自室に引きこもるわけでもなく、学校にいくようなふりをして家を出て、映画を観たり、街をふらついたりしてもどってくる。人生でもっとも本に親しんだのもこの時期で、登校しても教室に行かずに図書館に直行して小説を読みあさることが多かった。授業をさぼったと分かると親は当然のように叱ったが、学校がすべてという教育至上主義ではなかったし、世間的を気にして登校を無理強いすることもなかった。

 出席日数が足りずに昼間部から夜間部に転部しても不登校はつづいた。もはや行くべきところはなく、この子に学業は向かないと判断した両親は退学させる決意をした。父ががっくりと肩を落して退学願いを書いている姿を憶えている。長男が高校すら卒業しようとしないのを受け入れるのは大学出の父にとっては断腸の思いだっただろうが、「そのことで家のなかが暗くなったという感じはまったくなかった」と姉美紗も弟夏城も語る。父の撮った姉とトランプをしている写真が残っている。学校に行かなくなった時期のものだが、ふたりとも屈託なく笑っている。自分の好きなように生きればよいという両親の考えがゆきわたった、当時としては珍しくリベラルな家庭だった。

 『アサヒカメラ』1972年4月号は彼を知るさまざまな人々に取材して森山大道の特集を組んでいるが、そのなかで母美喜はとても滋味のあるコメントを寄せている。
「変に学校教育を受けてないから、そんな性格が生地のままでて、それだけがとりえじゃないかしらね」
 すべての子供に学校教育が有効なわけではない。本来そなわっている力で自然に伸びていくのを待つべき子供もいる。教師の経験のある母はそのことをよくわかっており、大道が後者のタイプであるのを見抜いていた。この言葉は当時だれのものよりうれしく励みになったと森山は言う。
 またこの登校拒否問題には、「どうしてもいやだった」という言葉に象徴されるような彼の頑迷さが出ている。どう言いくるめられても嫌なものは嫌だし出来ないという理屈を超えた感情で、諦観をともなった自己認識だった。

 夜間部に転科したとき、手に職をつけるしかないと考えた父は、知りあいの商業デザイナー小山展司に彼を預け、事務所で見習いをはじめた。退学後はそこで働くことが生活のすべてとなり、使い走りをしながらグラフィックデザインの基礎を学んでいく。このとき母のほうは日本画家の元に預けることも考えていたのを後に知り、鋭い洞察だと思ったという。森山の写真には日本画の平面性や様式指向と相通じるものがあるが、母はそうした美意識を当時描いていた油絵のなかに見いだしていたのかもしれない。結局、日本画は話だけに終わったが、絵心があったのでデザインを身に付けるのに時間はかからなかった。煎餅や飴の袋の模様描きに熱中し、事務所の仕事をこなすほかにも行きつけのバーに頼まれてマッチのデザインを手がけるなど、10代でかなりの額を稼ぐようになった。

 ところが21歳の春、順調に進んでいたデザインの仕事を捨て、カメラも持たないまま、いきなり写真に転向してしまう。そうなったきっかけは『犬の記憶』によれば失恋だった。付き合っていた女の子から結婚することになったのでもう会えないと言われ、デザインの仕事が手につかなくなり、「写真家になったる!」と決意したとある。
 振られたことがどうして写真につながったのか、ちょっと理解しがたい決断の裏には森山らしい衝動があったようである。デザイン作業はこの線を何ミリのばすか、この写真をどうトリミングするかなどの細かいデスクワークが主で、家にこもっていないと出来ない。放浪好きな彼にとってはそれが苦痛だったのだろう。
 だがそれ以上に鬱屈が強まった理由は、その時期に最愛の父を失ったことだったのではないだろうか。
 あと1カ月で20歳の誕生日を迎えるという初秋の夜、めずらしく早く帰って家にいると電話が鳴った。父が酔ってホームから転落して死亡したという知らせだった。森山は酒に強くないが、父は酒好きで本社に栄転してからは仕事相手との会合などで飲む機会が増えていた。弟がまだ帰宅してなかったので姉が留守番に残り、母とふたりで病院に遺体確認に赴いた。10代でこのような形で父の最期に接した衝撃は計り知れず、ただでさえ強かった生の不安を増大させずにおかなかったはずである。
 虚無感にとらわれながらも家計を助けるために街をうろつくのを止めて仕事に精を出す。だがデスクにしがみつけばつくほど不安と鬱屈が膨れ上がってこらえ切れなくなる。そんなときに付き合っていた女性に去られ、デザイン作業を疎ましく思う気持ちが一気に爆発したのではないだろうか。


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