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森山大道のOn the Road

大竹昭子

大竹昭子(おおたけ・あきこ)
ノンフィクション、エッセイ、小説、写真評論など、ジャンルを横断して執筆。トークと朗読の会<カタリココ>を各地で開催している。 著書に『この写真がすごい2008』(朝日出版社、2008)、『きみのいる生活』(文藝春秋、2006)、『眼の狩人』(ちくま文庫、2004)、短編集『随時見学可』(みすず書房、2009)、『あの画家に会う 個人美術館』(新潮社とんぼの本, 2009)など他多数。最新刊は 長編小説『ソキョートーキョー』(ポプラ社、2010)。
web: 紀伊國屋書店「書評空間」の同人。草森紳一記念館「白玉楼中の人」で「目玉の人」を不定期連載。
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連載06  

■にっぽん劇場 (1)

 デビューから4年後の1968年、最初の写真集『にっぽん劇場写真帖』が出版される。短期間に写真集がまとまるほどの量が撮れていたのに驚くが、細江に取材費をもらったときに何を撮ればいいか戸惑ったことを思えばなおのこと、意欲的な活動ぶりが実感できる。この4年のあいだに森山は急速に自分の写真をつかんでいったのだった。

 写真集を開くとまずザラ紙に印刷された寺山修司の散文詩があり、大衆演劇、アングラ芝居、演歌歌手、バトントゥアラー、ストリップ劇場、浪曲師などの写真がつづく。ほかにも、熱海、横須賀、新宿などのストリートスナップや、美容整形、ビジネスマン、団地族、大型コンピュータなど、時代の側面を切りとった写真も混じっている。おもしろいのはエンディングで、白から黒バックに変って「無言劇」の胎児の写真が数点つづき、明かりが消えるようにすっと終わる。

 大衆芸能の写真が多いが、特にそれに興味があったわけではないと森山は語る。きっかけは寺山修司だった。寺山が『俳句』という雑誌でエッセイを連載することになり、森山に写真を依頼してきた。打ち合わせの場所に出向くと、そのまま京成立石の芝居小屋に連れて行かれ撮影するはめになったのである。その後もあちこちの小屋をまわって撮り溜めていったが、寺山が多忙すぎて連載は3回で打ち切りになった。手元に残った写真を『カメラ毎日』編集部の山岸章二にもっていったところ、すぐに掲載が決まり、67年1月号に18ページにわたって載った。坂東太丸一座の舞台をステージ袖から撮った写真ではじまり、楽屋裏や白塗りの男役者のアップや着物姿の子役など、大衆演劇の現場そのものが写っている。

「にっぽん劇場」というタイトルはそのときに森山自身が付けたものである。ネーミングは重要だ。このときに「大衆演劇」とでも付けていたら、4年後に写真集がまとまったかどうかはわからない。大衆芸能のエッセンスに着目してより抽象度の高い「にっぽん劇場」というタイトルを考え出したことで、何でも放り込める入れ籠のような枠組みができた。写真集『にっぽん劇場』はこの命名によって準備されたとも言えるのである。

「しばらく芸人シリーズをやれよ」と山岸にけしかけられ、「ACTORシミズイサム」「浅草木馬館」「信濃路のさぶちゃん」と『カメラ毎日』でたてつづけに発表、これら一連の作品が評価され、その年の12月には日本写真批評家協会賞新人賞を受賞した。これはその当時、若手写真家がもっとも望んだ賞だった。デビューしたらまずはこれを取って足場を固めて次に進むというのが順当なコースで、それを撮りはじめて3年でとったのだから快挙にちがいなかったが、森山自身はもろ手を挙げて喜ぶという心境にはほど遠かった。「日本の土着性や芸能性をとらえている」という審査評が不満だったのである。鬱屈をはらすには写真集を出すしかないと決意し、出版社をやっていた従兄弟を口説いた。デビューして間もないうちに初の写真集が出たのにはこうした動機が働いたのだった。

浅草木馬館

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