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モーリス・ブランショの死後に対する私の証言

 エクリチュールとはおそらく遺言である、しかし海に投げ入れられた壜はいつも戻ってくる。 ――モーリス・ブランショ『友愛のために』

 2月22日土曜日午前10時、ラジオ局『フランス・キュルチュール』の留守番電話に伝言が残されていた――「ブランショが死んだ(
Blanchot est mort)」。週末、近親者によってその死去が確認された後、24日月曜日、二十世紀を生き抜いたこの文学者の訃報を各紙は一斉に知らせた――「ブランショ、永遠に姿を消す」(『リベラシオン』紙)、「ブランショ、雄弁なる不在」(『フィガロ』紙)、「消失の作家モーリス・ブランショの死」(『ル・モンド』紙)……。驚いたのは、夜の全国版ニュースでも僅か15秒ほどやや足早に、85年にスーパーマーケットの駐車場で隠し撮りされた長身の写真とともにこの95歳の作家の死が報じられたことだった。
 しかし、「2003年2月20日ブランショ永眠」という具体的な日付がこの作家にどんな意味をもつのだろうか。第一報を聞いて私が考えたことはそんな冷ややかな疑問だった。ブランショは作家がエクリチュールを通じてその本質的孤独へと踏み迷う「死の空間」を「文学空間」と規定し、この非人称的な場に定位しながら執筆活動を行ってきた。また、『私の死の瞬間』という自伝的な物語を1994年の誕生日に発表したブランショは、第二次世界大戦末期にナチスに銃殺されかかって以来、「途方もない死の軽さ」の中に彼が滞留し続けていることを書き綴っている(これが結果的に最後の作品となった)。ブランショはこれ以後、公表を目的とした作品を執筆していないだろうから遺作・遺稿が発表される可能性は少ない。また、彼は大学・教育機関等で教鞭を執っていたわけでもないので講義・講演記録の類が死後出版されることもない。ブランショは既にこの94年の遺言的な掌編によって自らの死を未了のままにし、その余生をあらかじめ「死ぬことの不可能性」へと委ねていたかのようなのだ。「作家、その伝記。彼は死んだ、生きた、そして死んだ」と書き記しているブランショは徹頭徹尾エクリチュールの人だった(発表された彼の談話はわずかに一つのみ)。深く遺言的なエクリチュールの軌跡からなる彼の生が既にして半ば長逝の途についていたのだから、死という現実の出来事が彼の作品群に決定的な影響をもたらすことはない、そんなふうに私には思われた。

 しかしまず第一に、実際に親交の深かった者たちにとっては、ブランショの死は確かに彼の著作を読む上で重要な出来事であるに違いない。時を待たずして『リベラシオン』紙(
26 fevrier 2003)に掲載されたジャック・デリダの追悼文「永遠の証人(Un témoin de toujours)」からはその胸の内の動揺が伝わってきて、深い感銘を受けずにはいられなかった。ブランショとは「68年5月」以来交流があったデリダは墓地で参列者を前にしてこの弔辞を読み上げた。彼は、「ここで、今、声を高める力をブランショ自身から受け取ったと信じたい、そう想像できればと期待し」ながら語り始める――「まさにここで、この瞬間、モーリス・ブランショと、この名を口にした時に、どうして身震いせずにいられようか?」
 追悼文には、ブランショの親族、隣人、近親者、とりわけモニック・アンテルムに対する深い感謝が表明される件がある。また私的な挿話、例えば初めてブランショと話したときに「微笑みの優しさ」が彼の表情から終始消えなかったこと、ブランショがかつて滞在していた南仏の町エズから店で買い求めた戦前のポストカードを彼に送ったことなどが語られる件がある。そして、ブランショのテクストに批評を加える件もある。とりわけ、死の不可能性に定位した思索家とみなされてきたブランショに生きることへの愛と肯定を見出すデリダの解釈は、この追悼文中最も読者を立ち止まらせる件のひとつだろう。ブランショが最後まで生に固執していた表徴は彼のテクストの中に数多く記されているとするデリダは、「特異な快活さ、肯定と『諾〔ウィ〕』の快活さ」や「幸福の喜びそのもの」をブランショの名において十全に肯定するのである。
 デリダは亡き畏友ブランショへの忠実さに背かぬように、ブランショ自身がバタイユの追悼文「友愛」(1962年)で既に示しているように、死者について語るのではなく、死者に対して語ろうと試みている。一方で、死者についての語りが友と共有した過去との連続性を回復し維持する喪の作業だとすれば、死者に対する呼びかけは死去した者の他者性を最も考慮した来るべき時間に向けた振る舞いである。言葉が宛てられる他者が目の前に現れることが決してありえないがゆえに、この呼びかけはいわば不可能な試みである。
 ここで私は再び自分自身の立場を考えざるを得ない。ブランショを経験的に知っている友人デリダが故人の思い出を対象化するのではなく、この死者に向けて言葉を紡ぎ出すということ、ここにはデリダ自身の倫理的選択の余地がある。彼は在りしブランショに関する具体的・経験的な事実に言葉を尽くすこともできるからだ。しかし、一読者たる私はブランショ本人とは経験を何も共有していないし、さらには、写真の公表を拒み、ラジオ・テレビメディアなどにも出演していないこの作家とはこうしたイメージ媒体を通じた仮想的な接触もほとんどない。またブランショに従えば、作品には作者自身が不在である以上、彼の諸作品を通じてこの作家の具体的な生に接近することはできないはずだ。したがって私はそもそも、亡きブランショに対して、彼の著作の読解を通じて今まで通り呼びかけを続けるしか術がないことになる。今一度問うならば、ブランショ自身が他界したことで読者にとって何が変わったのだろうか?

 ブランショの逝去公表から四日後、『ル・モンド』紙(
1er mars 2003)を開いて一瞬はっとさせられた。アメリカの対イラク戦争に反対する市民活動「Not in our name(我々の名において為すな)」のアピールが一面掲載されており、米仏の知識人・芸術家・市民の署名の中、デリダ、ジャン=リュック・ナンシー、モーリス・ナドー、ピエール・ヴィダル=ナケらと並んでモーリス・ブランショの署名があったのだ。事情を知らなかった私にはあたかも死後にブランショが署名を記したかのようだった、「私は生きている、いや、君は死んでいる」[『私の死の瞬間』]という二重写しになったひとつの声の如く。だが調べてみると、2002年3月に結成されたこのアメリカの反戦活動団体に連帯するべくフランス側の活動団体「Pas en notre nom」が結成されたのは2002年11月7日。実はこのとき既に最初の署名者2000人の中にブランショは名を連ねていた。彼は90年代にも「移民法に反対する不服従運動へのアピール」などに署名しているが、この高齢の作家が政治に対する関心を失うことなく、最後まで社会的な異議申し立てを続けていたことがわかる。ところでフランス側団体のコミュニケには、「40年以上前にアルジェリア戦争に反対すべく何人かの年長者によって発せられた『121人宣言』の精神に忠実であること」という文句が記されているが、興味深いことに、この「121人宣言」の立役者の一人はまさしくブランショである。アルジェリア戦争反対運動の時、彼はディオニュス・マスコロと共に行動し、とりわけド・ゴールの政権復帰による非常事態の収拾に徹底的に抗議した。こうしたプロセスは民主的解決策を無視したド・ゴールという〈一つの名〉による政治空間の占有だったからだ。マスコロは事後的に彼らの交流を「否の友愛(l'amitié de non)」と名指しているが、はたしてブランショの最後の署名は、「世界新秩序」を標榜するアメリカによる戦争、世界各国の政治的合意をも覆しかねないこの〈一つの正義〉に対する拒否として書き刻まれたものだったのではないだろうか。いずれにせよ私にとって、この署名との遭遇は、逝者ブランショの名が、反時代的な否を訴えるべく、死後の贈り物として戻ってきたかのような瞬間だった。
 そして実を言うと私は、この「死後の」署名を目にしたときほど「ブランショが生きていること」に身震いした瞬間は今までなかった。この震えは単に私自身の勘違いによるものだろうか? あのブランショが、「私が死ぬ」ではなく「ひとが死ぬ」という非人称な時空へと身を委ねていたこの作家がそれでもなお戻ってきた、そんな期待から生じた驚きだったのだろうか? いや、私にとってこの署名は、ブランショの没後に、ブランショの死に抵抗するブランショの生だった。そして、この生と死が拮抗する光景こそブランショがその著作に書き付けたことであるならば、私はブランショが他界したからこそ、この生−死の稜線を求めて彼のテクストを再読するのだろう。ブランショが不帰の客となった後だからこそ、そのテクストの至る箇所に「彼自身の死」が新たに刻み付けられた。もちろん、このような読みはブランショの文学理論に従えば間違っている。しかし、私としては、あの「死後の」署名を一瞥した瞬間の震えに立ち戻りつつ、ブランショの作品群に対して自分の証言を続けるしかない。

2003年3月4日
西山 雄二

copyright 2003 by Yuji Nishiyama

にしやま・ゆうじ:1971年愛媛県生まれ。神戸市外国語大学修士課程を経て、現在、一橋大学言語社会研究科博士課程に在籍。論文:「モーリス・ブランショにおける秘密と文学」、『一橋研究』第28巻1号など。訳書:ジャン=リュック・ナンシー『ヘーゲル  否定的なものの不安』(共訳、現代企画室、近刊)など。


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