◆ブランショ追悼◆ 安原伸一朗 西山達也 郷原佳以 廣瀬純 西山雄二 福島勲 林茂雄 池上達也 小林浩

モーリス・ブランショの死

 2003年2月20日、モーリス・ブランショが逝去した。享年95歳。フランスの主要な新聞は各紙そろってブランショの追悼記事を組み、英語圏やドイツ語圏、日本の新聞でも彼の死去が報じられた。「ル・モンド」紙(
25 fevrier 2003)は、ブランショの経歴と作品の紹介に丸1ページを割き、「リベラシオン」紙(26 fevrier 2003)は、故人の意向にしたがって遺体が荼毘に付された際に、ジャック・デリダによって読み上げられた追悼文のほぼ全文を掲載した。ラジオでは、フランス・キュルチュールが急遽、ブランショにかんする番組を流した。そしてこれ以後もしばらくは、各種の文芸雑誌でブランショ特集が組まれ、文字通り20世紀を生き抜いたこの文学者の歩みが振り返られることだろう。彼の死は、ある時点までフランス文学をリードしていた文壇批評家という、一つの世代の完全な終焉を意味しているのかもしれない。

 個人的には、実のところ、彼の死が一般のメディアで大きく報道されたことにいささか驚いた。たしかに、文学の分野では言うに及ばず、人文科学全般に大きな足跡を残したとはいえ、ブランショはフランスではそれほど一般的な作家ではない、というのが率直な感想だったからである。だが彼はやはり、時代の潮流を生み出す大きな力の一つだったのだろう。考えてみれば、一度も教壇に立ったことのないブランショの死を悼む多くの人が、デリダやジャン=リュック・ナンシーをはじめとした大学人であるという事実だけでも、個々の作品の文芸批評から文学そのものの存在論を引き出しながら思考の道を切り開いていったという彼の軌跡が窺われるのである。

 とはいえ、ブランショはむしろ、いわば最初から死んでいたのではないか。彼ほど死、孤独、友愛という言葉で文学を語った作家もいまい。実際、この死によっていったい彼の何が変わるというのだろう。その意味で、ブランショの生涯は、とても彼らしい形で締めくくられたと言えるかもしれない。まず、彼をよく訪ねていたという隣人の学生が、「ブランショが死んだ」というメッセージをフランス・キュルチュールの留守番電話に残した。このラジオ局では当初、確言を避けて「ブランショが死んだらしい(
Maurice Blanchot serait decede)」と伝えたようだ。この後すぐに、死亡が近親者によって確認され、「ブランショが死んだ(Maurice Blanchot est decede)」と放送されたという。生死も定かならぬ瞬間の現出。

 こうして、ブランショと名の付された書物が残された。そんななか、2002年11月には、過去にファタ・モルガナ社から出版されていた『ラスコーの野獣』『最後に語るもの』『ミシェル・フーコー 想いに映るまま』の三冊が、ユリシーズ社から刊行されていた『他処から来た声』とともに纏められて、ガリマール社から一冊の文庫本として出版された(
Maurice Blanchot, Une voix venue d'ailleurs, Gallimard, Folio-Essais, 2002)。これでブランショは、ファタ・モルガナ社からすべての自著を引き上げたことになるわけだが、よもやとは思うものの、彼は死期を悟っていたかのように自分の発言を実行に移しきったのだった。

 謹んでご冥福をお祈り申し上げたい。

2003年2月27日
安原 伸一朗

copyright 2003 by Shin-ichiro Yasuhara

やすはら・しんいちろう:1972年石川県生まれ。1995年、学習院大学文学部フランス文学科卒業。現在、東京大学大学院総合文化研究科言語情報科学専攻博士課程に在籍。主要論文:「どこにもない革命――1930年代におけるモーリス・ブランショの政治時評」(『言語態』第2号、東京大学言語態研究会、2001年)。「どこにでもいる人の常套句――ジャン・ポーランの民主主義」(『言語態』第3号、東京大学言語態研究会、2002年)。主要訳書:ジャック・デリダ、『滞留――付:モーリス・ブランショ「私の死の瞬間」』(共訳、未来社、2000年)。ジャン=リュック・ナンシー、『無為の共同体』(共訳、以文社、2001年)。モーリス・ブランショ『問われる知識人』(月曜社、2002年)。


◆ブランショ追悼◆ 安原伸一朗 西山達也 郷原佳以 廣瀬純 西山雄二 福島勲 林茂雄 池上達也 小林浩

追悼ページトップ