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「正しき時」はない

 この日が訪れることは幾度となく想像してはいた。モーリス・ブランショが逝去する日が、遅かれ早かれ訪れることは、つねに予感してはいた。
 初対面の人にブランショを研究していると言うと、「ブランショはまだ生きているんですか」とか、「ブランショはいま何歳なんですか」という質問が返ってくるのが毎度のことになっていた。「実はもう死んでいるけれど公表されていないのでは?」などと言われることもあった。おそらく、ブランショを知るほとんどの人が、近い将来のブランショの死を予感していたといえるだろう。1907年生まれ、90代も半ばとなれば、それも当然のことではある。しかし、そうした言葉が口をついて出る背後には、次のような思いがあったのではないか。つまり、あれほどに、若い頃から一貫して、「死」を思考することによって(のみ)「文学」を思考し、「死ぬことの不可能性」について執拗に考え抜いてきたあの影の人物は、友たちの死についてあれほどのインクを費やしてきたあの「ブランショ」は、あたかも文字どおり「死ぬことが不可能」だといわんばかりに、生き残っているのか、と。そこに隠れている思いは両義的である。つまり一方では、ブランショの書くものはつねに「死」の問いを孕んでいたが、断章形式の文章を発表するようになった70年代以降、「切迫した」死の匂いはさらに濃厚となり、いまやブランショはあたかも一作一作を遺作として書いているかの印象を与え、読者はいやでも「ブランショの死」を予感せずにはいられない。しかし他方では、つねにすでに「生き残りの者」として書いているブランショは、逆にいえばある種の死――「経験されざる経験」(『災厄のエクリチュール』)――をすでに経ていて、そして「私は死んでいる」というその場所から、「死(la mort)」という名詞ではなく「死にゆく(
mourir)」という動詞にどこか甘美な希望を見出しつつ、終わりなき「死にゆき」について、すなわち、書くことについて、書きつづけているのだ。私はここで、この二つの立場のどちらかを選ぼうとしているのではない。そうではなく、むしろ逆に、ブランショが亡くなった今こそ喚起しておきたいのは、この二つの立場がともに、ブランショについて語られるある種の紋切型の言説とも重なる、ということだ。それは、ブランショの死後も変わることがない。すなわち、ブランショの死は予想されていたことだ、あるいは、ブランショはもうとっくに死んでいたのだ、だから、〈経験的な死〉によって変わることは何もない、という言説が、そこかしこにはびこっている(たとえば、週刊誌『ヌーヴェル・オブセルヴァトゥール』の追悼記事(2003年2月24日)を見よ)。
 確かに、読者であり研究者である私たちにとって、〈経験的な死〉は何も事態を変えることはないだろう。私たちは、ブランショのテクストを読み、そこに提示された問いを追究するという営みを、これまでと同様に今後も続けていく、ただそれだけのことだ。「作品」が書かれるやいなや「作者」は追い払われるのだと、まさにブランショ自身が教えてくれたではないか。
 しかし、本当に、そうだろうか。ブランショの理論をブランショ自身に応用したつもりになりながら、あっさりと、「テクストは何も変わらない」と呟きテクストに視線を戻す時、私たちはその一瞬に底なしの穴のようなものが生じたのを見ないふりをしてはいないだろうか。つまり、「ブランショの死」は、私たちにとって本当に、何の驚きももたらさない予定調和的な出来事だったのだろうか。私たちがブランショから学んだのは、しかしまた、次のことでもあったのである。すなわち、「予定通り」の死はないということ、死の「正しき時」、「望みの時」〔物語『望みの時に』参照〕はないということである。ブランショが「ニーチェの方へ」〔『炎の文学』所収〕や「イジチュールの経験」〔『文学空間』所収〕で「正しき時に死ね」というツァラトゥストラの教えを引きながら、おそらく「死」をめぐるハイデガーの議論を念頭に置きつつ語っていたのは、こと「死」に関しては「正しき時」はどうしても欠如してしまう、ということだった。「死」がやって来るのは、あまりに早いか、あまりに遅い。「死」はいつも、夭折の死か、あるいは事後的な死としてのみ、到来する。「死」に特性があるとすればそれは、「正しき点」の欠如に他ならない〔「イジチュールの経験」〕。そしてブランショは、いわば亡霊となって事後的に眺めることしかできないその瞬間を、逆説的にも「私の死の瞬間」と呼んだのだ。そのありえない瞬間(
instant)については、ジャック・デリダが『滞留』において、これ以上ない緻密さで論じている。そのデリダが述べるとおり、「私の死の瞬間」という「不可能な必然的な死」〔『災厄のエクリチュール』〕の時間性というテーマは、自伝的な物語『私の死の瞬間』を俟って現れたのではなく、ずっと以前からブランショに取り憑いていたのだ。「死ぬこと、それは、絶対的に言うならば、絶え間なき切迫であり、しかしながらその切迫によって、生は欲望しつつ続いていく。つねにすでに過ぎ去ってしまったことの切迫」〔『災厄のエクリチュール』〕。
 2月25日、ブランショの葬儀の翌日に行われた生放送の追悼ラジオ番組に、記念碑的なブランショの伝記を著したクリストフ・ビダンが関係者の一人として招かれたが、彼は、ブランショの死について語るのが実に辛そうだった。ビダンが語ったわずかな言葉は、ブランショの生涯と作品の探究に驚くべき情熱で取り組んでいる第一人者の言葉であるがゆえに一層、印象的なものだった。彼は、ブランショの死は、「思いがけない(
inattendu)」ものだった、と言ったのだ。晩年のブランショをもっとも近くで支えていたモニック・アンテルム〔ロベール・アンテルムの未亡人〕とも親しい関係にあるビダンは、おそらくブランショの最近の健康状態を詳しく知っていただろう。その彼にして、それはつねに「予感」はしていたにせよ、しかしそれでもやはり「予想外」のものだったというのだ。「ブランショの死」とは、私たちが予感こそすれ、その実まったく考えていなかったことなのではないか。私たちは、ブランショの死を予感しながらも、一方でブランショはいつまでも「生き残る」ような気がしていたのではないだろうか。「ブランショの死」と、「ブランショ」と「死」を「の」で結びつけることが何かとてつもなく場違いなことに思えるのはそのためかもしれない。「死」に、固有の時、正しい時はない。『ル・モンド』の追悼記事が逝去日を一日遅れの21日に、そればかりか一歳年を取らせて享年を96歳としているのは、間違いというにはあまりにブランショの問いかけに誠実ではないか。あたかも、いつの間にか「彼方への一歩」を跳び越えていたブランショが、その闇の跳躍の間に誕生日を迎え、亡霊となってわれわれの方を眺めているかのようだ。すべての死がそうであるように、ブランショの死は、早すぎる。そして、私たちはつねに、死より遅れている。

2003年3月1日
郷原 佳以

copyright 2003 by Kai Gohara

ごうはら・かい:1975年生まれ。現在、東京大学大学院総合文化研究科地域文化研究 専攻博士課程に在籍。論文:「〈神〉の一人称――モーリス・ブランショ『至高者』をめぐって――」(『フランス語フランス文学研究』第77号、2000年)など。訳書: ジャック・デリダ、『滞留――付:モーリス・ブランショ『私の死の瞬間』』(共訳、未來社、2000年)など。研究発表: " La resemblance inquietante : l'image chez Blanchot " Journee d'etudes sur Maurice Blanchot, L'Universite Paris 7, 2002)など。


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