ブランショ略年譜

1907年
9月22日、ソーヌ=エ=ロワール県カンに生まれる。

1930年
ストラスブール大学卒業。学生時代はエマニュエル・レヴィナスと親交。
右翼系夕刊紙『ジュルナル・デ・デバ』に入り、政治外交問題担当記者となる。

1931〜32年
初め〈アクシオン・フランセーズ〉グループと近く、『ジュルナル・デ・デバ』のほか種々の新聞雑誌にも右翼的な政治論や文化論を寄稿する。

1933年
1月、ヒトラー政権成立。
以降、『ジュルナル・デ・デバ』のほか、朝刊紙『ランバール(城砦)』にも毎日のよう国粋主義的な論説を発表、月刊誌『コンバ(闘争)』、週刊誌『アンシュルジェ(蜂起)』等にも激烈な論説を寄せる

1935年
短篇小説『牧歌』執筆(発表は1952年)。

1937年
論説「革命から文学へ」(『アンシュルジェ』1937.1.13.)
この年夏頃から政治論説より身を引きはじめる。38年から40年にブランショは『ジュルナル・デ・デバ』に署名記事を書いてないが、無署名記事では反知性的神話をかかげて全体主義的抑圧を続けるナチ・ドイツ批判をしていたようである。

1940年
6月、フランス敗北。ペタンのヴィシー政権成立。
40年末から42年4月頃まで、文化組織〈若いフランス〉に参加し、そのパリ本部で仕事をする。
40年末から41年初め頃、ジョルジュ・バタイユと知り合い、親交する。

1941年
ペタン派の新聞として刊行を再開した『ジュルナル・デ・デバ』に4月より「知的生活時評」という総題で書評形式の文芸時評を書きはじめ、44年8月までほぼ107篇を書く。
9月、初稿『謎の男トマ』(Gallimard)刊行。
12月、Gallimard社『NRF』誌編集部員として採用されるが、42年6月、辞任。

1942年
長篇『アミナダブ』(Gallimard)刊行。
『文学はいかにして可能か』(「知的生活時評」でジャン・ポーランの『タルブの花』を論じた3回分をまとめたもの)刊行。

1943年
この年春、バタイユ主宰の〈ソクラテス研究会〉に出席。
『踏みはずし』(Gallimard)刊行(「知的生活時評」50篇ほかをまとめたもの)。

1944年
3月、バタイユ主宰の〈罪についての討論会〉に出席。
5月、ソーヌ=エ=ロワール県カンの生家に移る。
7月、のちに『私の死の瞬間』で語られる、ドイツ軍の銃殺を免れる事件。
8月、パリ解放。

1945年
『アルシュ(方舟)』誌、『日曜風景』誌などに文学評論を寄稿。
批評家賞審査委員になる。

1946年
6月、バタイユ創刊の『クリティック』誌に編集委員として参画、寄稿。
『タン・モデルヌ』誌、『カイエ・ド・ラ・プレヤード』誌などに寄稿。

1947年
短篇『最後の言葉』(Fontaine)刊行。

1948年
中篇『死の宣告』(Gallimard)
長篇『至高者』(Gallimard)

1949年
『火の部分』(Gallimard)
『ロートレアモンとサド』(Minuit)

1950年
新稿『謎の男トマ』(Gallimard)

1951年
中篇『望みの時に』(Gallimard)
短篇集『永遠の繰り言』(Minuit)

1953年
1月、『新NRF』誌発刊にともない時評欄〈探究〉を担当、以降、1967年頃までほぼ定期的に寄稿。
中篇『私に連れ添わなかった者』(Gallimard)

1955年
『文学空間』(Gallimard)

1957年
五月賞審査委員。
中篇『最後の人』(Gallimard)

1958年
『ラスコーの野獣』(Gallimard)
アルジェリア戦争に反対するディオニス・マスコロとジャック・シュステールの雑誌『七月十四日』に共鳴、同誌第2号(58年9月)に論文『拒絶』、第3号(59年6月)に『本質的倒錯』を寄稿。

1959年
3月、『アルギュマン』誌12〜13号の批評論特集に寄稿。
『来るべき書物』(Gallimard)

1960年
マスコロ、ロベール・アンテルムらとアルジェリア戦争に反対する〈百二十一人宣言〉を起草、署名。

1962年
『期待 忘却』(Gallimard)
ジョルジュ・バタイユ死去。

1966年
『クリティック』誌6月号〈モーリス・ブランショ〉特集。ミシェル・フーコーのブランショ論「外の思考」。

1968年
1月、キューバで開催の国際文化会議にフランス代表団の一員として出席。
5月、パリ5月革命。マスコロ、マルグリット・デュラスらと「作家学生行動委員会」を組織し、街頭行動にも参加、さまざまな無署名文書を執筆。

1969年
「作家学生行動委員会」の記録『一年後』を『レットル・ヌーヴェル』誌が掲載(ブランショはその匿名執筆者の一人)。
『終わりなき対話』(Gallimard)

1970年
『パイデイア』誌第7号で日本初の〈モーリス・ブランショ〉特集。編集者は鈴木道子。ブランショの特別寄稿「マルクスの例」。

1971年

『友愛』(Gallimard)

1973年
短篇『白日の狂気』(Fata Morgana)
『彼方へ一歩』(Gallimard)

1975年
エマニュエル・レヴィナス『モーリス・ブランショ』

1980年
『災厄のエクリチュール』(Gallimard)
ジャン=ポール・サルトル死去。

1981年
『カフカからカフカへ』(Gallimard)

1983年
『事後的に 永遠の繰り言』(Minuit)
『明かしえぬ共同体』(Minuit)

1984年
『最後に語る人』(Fata Morgana)
ミシェル・フーコー死去。

1986年
『ミシェル・フーコー 想いに映るままに』(Fata Morgana)

1992年
『他処から来た声?ルイ=ルネ・デ・フォレの詩について』(Plombieres-les Dijon, Ulysse Fin de Siecle)

1994年
『私の死の瞬間』(Fata Morgana)

1995年
ジル・ドゥルーズ、エマニュエル・レヴィナス死去。

1996年
『問われる知識人』(Fourbis)
『友愛のために』(Fourbis)
マルグリット・デュラス死去。

1998年
ジャック・デリダ『滞留??モーリス・ブランショ』

1999年
『アンリ・ミショーあるいは閉塞の拒否』(Farrago)

2002年
『他処から来た声』(Gallimard)

2003年
2月20日、死去。


※主として『筑摩世界文学大系82 ベケット/ブランショ』の清水徹編「ブランショ年譜」、および清水徹訳『友愛のために』(リキエスタの会)の訳註より作成。誤記、および重要事項の欠落などありましたら、までご教示ください。文責=池上達也

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