[「社会新報」2001年10月31日付・第六面・「こだわり読書日記」北小路隆志氏署名記事より]

 フランスの思想家ミシェル・フーコーが一九七九年から八一年にかけて発表した短文や談話が、この度『ミシェル・フーコー思考集成VIII』(増田一夫編・筑摩書房)として纏められた。
 今、とりわけ僕たちの関心をひくのは、イスラムの名による欧米中心主義=資本主義への最初の本格的な抵抗として記憶される〈イラン革命〉を巡って発せられ、記述された幾つのかの言葉である。当初は別の方法による政治運動に接したことに由来する興奮が読み取れるが、それは次第に、反対勢力の弾圧を強め、不寛容な独裁色、排外主義に傾く新政権への失望や戸惑いへと取って代られる。
 「武器をもたない民衆が全員で立ちあがり、自分たちの手で『圧倒的な力をもつ』体制を転覆したのだ」とする〈イラン革命〉への評価は確かに少しばかり理想に走りすぎだったかもしれない。だが、フーコーが七九年の時点で漏らしたこうした感想は、「単に一宗教であるのみならず、一生活様式、一つの歴史、一つの文明への所属」を根拠とした政治運動が、とりわけパレスチナを中心とした中東の政治地図を大幅に描き換える「力動」となることを予感してのことだった。
 徹底して実践的であるためにむしろ理論が必要であると訴える柄谷行人の大著『トランスクリティーク』(批評空間)で引用されるマルクスの『ドイツ・イデオロギー』の一節で「現状を揚棄する現実の運動」と定義づけられる「共産主義」に似た何かを、フーコーは当時のイスラムに見出していたのだ(もちろん、ここでの「共産主義」はパレスチナなどでの当時の政治運動に一定の影響力をもったマルクス-レーニン主義等々とは異なる)。
 そう、イスラムは「巨大な火薬庫となるおそれがある」。もしも、「国際社会」が問題の解決に動くことなく手をこまねいているならば……。そして今、フーコーの予感はほとんど最悪の形で現実のものとなりつつある。
 イタリア人批評家ジョルジョ・アガンベンの書物『アウシュヴィッツの残りのもの――アルシーヴと証人』(上村忠男/廣石正和訳・月曜社)は、先の本でもそのアイデアの一端が披露されるフーコーの「生政治」論をさらに前進させ、現代社会の倫理のあり様を模索する刺激的な試みだ。かつての権力は臣民を殺害しうる「生殺与奪の権利」に基づき成立していたが、近代の「生政治」はむしろ臣民を生かしながら管理する権力としてある……。だけど、ナチズムに代表される近代の全体主義国家は、死なせる権力(前近代)と生かす権力(近代)を一致させる異様な権力として出現した。そうしたおぞましい、しかも過去の遺物として清算されたわけでもない異様な権力において決定的な役割を果した「死の収容所」の本質を論じる際、アガンベンは強制/絶滅収容所を体験したユダヤ人たちのなかで「回教徒」と呼ばれた一群の人々に注目する。もはや生きる気力を完全に喪失したが、それでも生物学的な死に至らぬまま収容所を亡霊のように彷徨う人々。彼らは生きているとはいえないし、死ぬことさえもできない。生きながらにしてすでに死んでいるのだから。つまり、生と死を一挙に剥奪すること、それがナチズムの本質だった。
 ところで、彼らユダヤ人たちはなぜ「回教徒」と呼ばれたのか。諸説があるが、心身の虚脱状態に由来する彼らの機械的な動作がイスラム教徒の礼拝に似ていた(と彼らの目に映った)からだという。しかし、今や僕たちはこの命名の儀式に単なる歴史の悪戯や皮肉以上のものを感じる。アガンベンがプリモ・レーヴィに倣い、「回教徒こそは完全な証人である」とするとき、現代社会におけるイスラムを巡るフーコーのこんな見解を想起せずにいられないのだ。「[狂人、民衆、そしてイスラム等々の]声に耳を傾け、その言わんとするところをわかろうとするということに意味があるのは、そうした声が存在し、これを黙らせようと執念を燃やすあらゆるものがあるというだけで充分だ」。
 テロリズムとイスラムの峻別は当然だが、それがテロリズム=悪と決めつけるための方便に使われるだけなら、別種の隠蔽がそうした作業から芽生える。僕たちは「回教徒」の声ならざる声、証言ならざる証言に充分耳を傾けているだろうか?

(C) 2001, Takashi Kitakouji and Shakai Shimpou.